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tartaros  ―タルタロス―

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2008.08.07
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カテゴリ:読書
misumi.jpg

押切蓮介の漫画「ミスミソウ」第一巻を読んだ。

徹頭徹尾「鬱」「鬱」「鬱」
鬱耐性がある人、「むしろ鬱は大好物」って人にはお薦めできるんじゃないか。

―――――――

創作において見る物を暗鬱たる気分にさせるストーリー展開の一つとして、「持ち上げて落とす」というものがあると思う。
端的に言ってしまえば「ぬか喜び」をさせるのだ。読者に。

この「ミスミソウ」という作品は、そのぬか喜びの絶望感を、第一話から恐ろしく強烈な形で見せ付ける。
前ページまでの微かな希望は全てが次に訪れる絶望への準備であり、助走である。そして、その直後に訪れる暗い展開は、非常に大きな唐突さを伴うが故に、ある種の滑稽ささえをも湛えながら読者に全力で迫って来る。
この「鬱」感こそがこの漫画最大の特徴であり特長である。さらに底流に流れるのは抑圧されて行き場を無くしたキャラクター達の「欲求・欲望」であり、それはいつしか「狂気」へと姿を変えて、閉鎖的かつ排他的なコミュニティに現れた異物を排撃せんとする方向へと向かい始める。

「ミスミソウ」の主人公は、父親の仕事の都合で東京からとある田舎へと引っ越してきた中学生の少女である。その少女が、転校先の学校で壮絶なイジメに遭う……というのが基本的な物語の筋。
彼女の通う学校は今年度一杯で廃校となることが決定しており、所属するクラスの生徒数もごく僅かである。その少人数によって、少女は地獄のような日々に叩き落される。

転校生に対するこのイジメを閉鎖的で排他的な、所謂「ムラ社会」の縮図と見る事も可能だろう。しかし、この外来の人間に対する敵意と狂気に満ちた異常な空間に対して、俺は「学校」という空間そのもの特異性を見出すこともできるのではないかとも考える。
そもそも学校……とりわけ物語の舞台となっている中学校とは、ひたすらにある種の画一さが求められる場所であるとは考えられないだろうか?
それも教師や親といった「上からの」画一さではなく、生徒達の間でいつしか生み出されていく、明確な姿の見えない画一さが。

それはつまり、ひたすらに生徒達の主流であるマジョリティの集団に歩調を合わせ、集団からはみ出ないように努力しなければならないという事なのである。
多くの場合、生徒達は数十人が一つのクラスとして編成されて学校生活を送ることになる。外部に対して完全に閉鎖されてはいない、しかし一個の「クラス」として他の集団とは違う確固たる一単位という形態を持ち得るに至った少年少女の集団は、特定の主流派の元に連帯性を獲得しようとする。
この流れからはみ出した、あるいは離脱したアウトサイダーに対しては、時として、しばしば凄惨な手段を以って排撃が行われる場合がある。
すなわち「イジメ」だ。

だが(極めて消極的ではあると思うが)、この排撃……イジメを回避しようとするならば、簡単な方法がある。自己の主張をなるべく控えめにして、主流派に歩調を合わせようとする事だ。
けれども、それは初めからクラスに参加していた事が大きな条件であると言わざるを得ない。
残念なことに、「ミスミソウ」の主人公が転校してきたのは中学三年生の冬、つまり卒業まであと数ヶ月という段階なのだ。
既に共同体としての強い連帯性と結び付きを獲得しているクラスにとっては、あともう少しで卒業というタイミングで転校してきた主人公は、どう見てもただの「異物」でしか有り得ない。もはや主流派となること自体が非常に難しいか、あるいは不可能なのである。

加えて、そうした物理的な意味合いだけでなく、主人公……彼女そのものが、このクラスにとってもう一つ別の意味を持った異物と解釈されている。
彼女は「美しすぎる」。少年少女の欲求など何も満たしてくれない「クソ田舎の町」に在る学校のクラスにおいて、彼女はまさにその「美しさ」そのものが猛毒として機能している。
何故ならば、平凡で画一的な集団の中における「醜い」存在がアウトサイダーとして疎まれるように、「美しい」存在もまた一種のアウトサイダーに他ならないからだろう。そこにもはやプラス的かマイナス的かという単純な属性の意味付けなど関係が無い。
飛び抜けた美しさもまた飛び抜けた醜さと同じように、ある集団の中では異物であり異常である。

あたかも体内に入り込んだ外敵を排除しようとする免疫のように、主人公への陰惨な攻撃は、こうして始まる。

そして、イジメを行う者たちの中、その奥底の流れているのは抑圧された欲望が変成した狂気なのだ。
何も無い、何も欲求を満たしてくれない田舎町。その中に住まう彼らにとって、主人公に対する苛烈なイジメはまたと無い快楽であったに違いない。
しかも、この過疎化が進む田舎の中学校では生徒数が非常に少ない。生徒数たった十数人という環境では、内部での連帯感は生まれやすいが、恐らく、同時に排他的傾向が非常に強まっていきやすいのではないだろうか。すなわち、それこそがこの文章の冒頭で意図的に考察から外したムラ社会の特徴なのだ。生徒達が自ら画一性を求める学校と、排他性の強いムラ社会。この二つが融合して一つのキメラと化したとき、外来の存在への恐るべき排除の意思が誕生する。
その上に、教師はイジメの事実を確実に知っているのであろうが、事なかれ主義であるのか生徒の復讐をを恐れているのか、ひたすらに知らぬ存ぜぬでシラを切り通している。

学校という環境そのものの特異性と、ムラ社会としての特有排他性・閉鎖性の相乗によって生み出されるこの空間においては、誰もが欲望の捌け口を求め、誰もが狂気を内に秘め、誰もが病み始めている。


そのような地獄に入り込んでしまった主人公――野崎春花は果たしてどのような変性を遂げていくのだろう。


地獄から這い出るのか?

それとも、クラスメイトと同じように狂ってしまうのか?



閉鎖と排他が生み出す狂気の物語は、まだ始まったばかりだ。











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Last updated  2008.08.08 21:55:57
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