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カテゴリ:日常の出来事
「××君ってハルヒとコードギアス観てるんだよね? フィギュアとか買ってるの?」
「いや、ハルヒは観てないよ。さすがにフィギュアは買ってない。ガンプラはたまに買うけど」 「何で?」 「誰かに見られたら恥ずかしいじゃん」 「えー、私は別に恥ずかしくないけど」 ――――――― と、そのような会話を近くの席のアニメ好きだという女子と交わしたのだけれど。 彼女の話を聞く所に拠れば、昼休みの間に「××は果たしてフィギュアを買っているのか?」という事が友人たちの間で議論の俎上に上がっていたらしい。 何だ、ソレ……。 そこで思ったのだが、俺と接する人たちは、いったい俺の事をどのような人間だと思っているのだろか? かつて俺は、リアルの生活においてこんな事を言われた記憶がある。 「××でも漫画とか読むんだ」 「歩く国語辞典」 「お前は卑屈すぎる」 「もっと自信を持っていいと思うよ」 「喧嘩になったらこっちの知らないような言葉で罵倒してきそう」 「もしバンドやるとしたらドラム叩いてそうなイメージ」 ……思い出せるままに列挙してみたけれど、これだけだと何が何だか判らないwww 書いてるうちに、高校倫理の教科書に載ってた「ジョハリの窓」の概念を思い出した。向こうは俺に対して思いもよらない印象を抱いているかもしれないし、こっちが相手に対して抱いている好悪両面そのどちらの印象もまた、相手には伝わっていないかもしれない。 人間関係というものは欺瞞と真実が常に心の内に存在し、その釣り合いをどう取るか、あるいはどちらを自己の内面から排斥して他者と向き合うか。 そうした葛藤が付き纏う複雑なモノなのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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