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カテゴリ:読書
松谷みよ子「現代民話考8 ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」(ちくま文庫)読了。
今や現代民話や都市伝説研究の類において「古典」と化した感のある同シリーズだが、今回読んだのはその第8巻だ。 タイトルの通り、テレビやラジオ……すなわち放送ということに関する諸々の話を収集したものとなっている。 特徴的なのは、これはあくまで「収集」しただけであり、著者の考察等は一切加えられていない点であろう。スタンスとしては柳田国男の「遠野物語」に近いかもしれない。 放送業界でしか起こり得ないような奇妙な失敗談など、収録されている話はいずれもが(真偽のほどは判らないながらも)、想像以上に人間味というか、可笑しみのようなものを感じさせる。我々のような放送の受信者にとって、放送業界は内部のよく見えない一種の異世界には違いないが、人間が人間のために番組を制作している以上、そこに働いているのはやはり人間としてのパワーなのかもしれない。 全体の終盤には少しだけ怪談も収録されているが、「放送」そのものの隔絶性――つまり、機械を通して情報を発信している以上、その向こうに本当は何が存在しているのかという疑問――に根ざした話はむしろ少ない。あくまで放送する側が経験した怪談の記録なのである。 また、中には「クリネックスティッシュの呪い」に関する有名な噂も収録されていた。これなどは視聴者主体で広まった噂だろう。 他にも有名な噂話が数種類。 放送業界という世界はそもそもある種の特殊職能集団であり、外部(視聴者や聴取者)の人間は製作者に対してどことなく閉鎖性を感じざるを得ない。 我々一般人にとってはまさしく「別世界」なのだ。 「ギョーカイ」自体が一つのブラックボックスと化している以上、その内部で語られる伝説・噂話・挿話などが一般に流布することは希であるのかもしれない、とも思った。 だからこそ、その収集(蒐集)には価値が有るのだろう。 20世紀から急速に発達したラジオ・テレビにまつわる物語は、著者が語る所の「現代民話」に他ならない。 民話というものが時代にあわせて形を変えながら人々が語り伝えてゆくものだとするならば、インターネットが隆盛を極めている現代において、既にネット社会の民話は生まれているに違いない。 放送とネットはいずれも情報を届け、また受け取るものである。 そこに発信・受信双方の、誰とも知れぬ意思が朧気に、しかしその実しっかりと介在しているからこそ、新しい現代の民話は誕生し続けるように思われる。 追記 近・現代における日本の文化史において、放送が果たした役割は絶大と呼ぶにふさわしいだろう。と言うよりも、放送そのものが一つの文化と言えるかもしれない。 本書はそうした放送文化の一断面を覗き見る事ができる格好のテキストではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.02 16:00:15
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