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カテゴリ:読書
「籠の鳥より監獄よりも 寄宿ずまいはなお辛い。……」とは、細井和喜蔵「女工哀史」(岩波文庫)に紹介されている女工小唄の一つである。
著者の細井和喜蔵は自らも紡織工として紡績工場で働いた経験から、そこで地獄のような労働を課されている女工たちを憐れみ、日本の近代資本主義の暗黒面、その告発の書とも言える「女工哀史」を発表した。 その中の「第十六 女工の心理」には次のようなアンケートの結果が紹介されているのでここに引用してみよう。 元来女工心理の研究にかくのごとき研究方法は当を得たるものと言われないが、女工四千人を有する東京の某工場で、その教務員が寄宿各室へ解答用紙を配り、各自の思うところを述べしめたことがあった。その成績が次の通りだ。 この統計は、前にも述べたごとく女工の教育程度がいかに低いかを物語っているものである。そして右のうちほとんど全部が小唄または俗歌の形式に書かれておって、普通の文章らしいものは唯だの一遍もなかったのである。もって女性と歌の密接な関係を窺うことができるだろう。(第十六 女工の心理 326p) 上記の引用箇所を読めば判るとは思うが、当時、女工の教育水準というものは非常に低く、アンケートにすら「普通の」文章で答える事ができない者が多数いた模様なのだ。 同書によれば、この傾向は紡織工の労働争議にも見えている。 それというのも女工が中心となった争議の場合、「ことごとく人の排斥や引き止めに終始し、一として賃金問題に触れてはおら」ず、「いわば面白半分、付和雷同的なものである」という。自分たちに支払われる賃金についての問題ではなく、あくまで対人関係に終始した争議がほとんどだという事だ。 言うまでもなく、紡織女工たちの置かれていた状況は悲惨なものであった。 栄養価も分量も少ない食事のために空腹もろくに満たせず、一日中立ちっぱなしの重労働。溜まりに溜まった疲れから、フラリと機械に倒れ込んだがために鉄の歯に巻き込まれて命を落とした者もいる。 寄宿住まいのために病気が流行り易く、結核にでもかかってロクな治療も受けられずに帰郷を命じられようものなら、彼女を起点として地方に病はばら撒かれる。 そのような「過酷」の一語に尽きるであろう状況にあって、彼女たちの争議がさほど真剣かつ規模の大きなものに成り得なかったのは、ひとえに紡織女工たちの無知の故であったとは言えるかもしれない。 フリードリヒ・エンゲルスは近代的資本主義発展の波に洗われていた19世紀のイギリスを旅行し、そこに生きる労働者階級の人々の実態をつぶさに観察している。 そこでは、産業革命による社会の大規模な変革の恩恵に与る事の出来たごく一部の富める人々と、まったく反対に厳しい労働に従事せざるを得ない大多数の貧しい人々の厳然たる落差があった。 貧困に喘ぐ労働者たちには無知・非行・犯罪が横行し、また病が蔓延し始める。リヴァプールにおける労働者階級の平均寿命は、1840年の段階でわずか15歳ほどでしかなかったとも言われる。こうした悲惨な現象は、社会経済発展の転換期によく見られるのだという。農村型から産業型への移行を開始した経済は、その潮流に乗る事の出来たものと出来なかった者との間に格差という大きな溝を生み出すという事が言えるだろう。 けれども、やがて繁栄が各所に広まりゆくに連れて同時に公衆衛生も発達し、病もまた少しずつ駆逐されていく。 ……このような社会悪が、そのごとりのぞかれ、あるいは目立たなくなっていったことは、いうまでもない。救貧法の改正、労働法・公衆衛生法などの立法措置が行われ、一方下水道が新設され、街路が整備され、スラムはしだいに消滅していった。それは、さきにあげたチャドウィックらの改革に負うところであり、また労働者自身のはげしい闘いによってかちとった成果である。(立川昭二:病気の社会史:岩波現代文庫) 元より、恐らくは苦役を負わされていた労働者階級も耐えかねての運動が実を結んだのであろう。貧困層救済の社会福祉という要素にこそ、医学の発達を待たずともある程度の社会改革や疾病の制圧という大きな効果が期待されるのである。 翻って日本はどうであったのだろうか。 富国強兵の旗印の下、世界史上でも稀に見るほど短期間での経済発展を遂げたのは明治時代の日本である。しかし、そこでは先に挙げた「女工哀史」がまたよく示しているように、無数の名も無き労働者階級の血と命が捧げられていた。 こうして、変革が進行するにつれ、農村は荒廃し、都市に人口が集中し、貧民のスラム街が簇生し、工場から吐き出される煤煙が日本の空を覆いはじめる。電灯がつき、陸蒸気が走り、煉瓦の家並みが建ち並ぶ都会も、一歩その裏にまわれば、その汚濁と不潔、貧困と退廃は、表通りの繁栄と際立ったコントラストをなしていた。(立川昭二:前掲書) 彼ら彼女らの屍の上に築きあげられた壮麗な大日本帝国であったが、やがて公衆衛生等を発展させようという運動も現れ始める。 だが、ここでよく考えなければならないのは、それがあくまで「上」からの改革でしかなかったという事なのである。つまりは「国家」の手によって遂行されるそうした政策である以上、目指しているのはやはり「富国強兵」である。最終的には国家繁栄のためにこそ行われる政策であり、そこに真に国民の意思が介在していく余地は無い。 そして、それこそがクセモノなのだろう。 一般大衆が主体となって行われる、いわば「下」からの意思を受けた改革でない限り、民意に則しているとは言い難いのではないだろうか。 しかし、「女工哀史」中のアンケート結果や労働争議云々の話が示している通り、現状に対する強い不満を抱いていたとしてそれが何に起因するものであるか理解しているか、その意思を表明する事ができるか、という次元の話になると、途端に雲行きが怪しくなってくる。 眼前の問題について無知であるという事はただそれだけで不利であり、場合によっては自分たちに苦役を課しているのが誰であって、何であるのかさえ解らない事もあったのではないかと思わずにはいられない。 無知であるというたった一つの事だけが何よりも重い手枷足枷となって、彼らの民意の表出を阻むことすら有り得ると考えざるを得ない。 いや、そもそも自分たちの置かれている状況すら理解しかねる人々も、もしかしたら存在したのではないだろうか? かつて小林多喜二「蟹工船」の感想を書いた時、「思想よりもまず大衆の欲求こそが、社会を変革する直接の動機となる」という旨の事を述べた覚えがあるが……俺は今、その考えを改めなければならいのかもしれない。 社会の変革、敷衍するならばあるいは革命さえをも起こすには人々の心の中から湧き上がる解放への情熱と同時に、それに正当性と論理性を与える「思想」が必要である。 しかし、そもそも情熱が燃え上がるより以前に、自分たちが置かれている悲惨な状況を理解する事ができなかった場合、まず思想などは根付きようがない。 社会の大規模な変革を行うには、それを志向する人々の情熱、推進力となる思想……そして今ひとつ、彼らに「気付き」と不正への「理解」を与える「教育」が必要不可欠であるように思われる。 理解する事さえ不可能なら、現状への不満など抱きようが無い。 思えば、「蟹工船」でもある漁夫がロシアに漂流して、現地に居た人間から社会主義を教わる場面があった。それも極端に専門的なものでなく、誰もが「当然かもしれない」と考える事のできるごく簡単な形でだ。 盲目的に不正に臣従するような現状がいかに愚劣極まるのであるか、そしてその不正がいかにして誕生しているのかを知るためには、それを理解ための教育を人々に施すこと、人々が知識を経て積極的な理解を行おうとする意思が必要なのだ。 仄かな不満と教育が結びつき思想が新たなエネルギーを与えた時、初めて変革の情熱が本格的な芽生えを見せる。 そのような考えへと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.05 16:35:31
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