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カテゴリ:読書
佐々木俊尚「ブログ論壇の誕生」(文春新書)読了。
さて、ここに一つのハコがある。 性能は違えど、機会の詰まったハコだ。 ハコは入口であり、現実とは違った情報空間へと人間を誘導してくれる。 ハコ、とは言うまでも無くパソコンで、情報空間こそはインターネットだ。 かつて、ヨーロッパの「コーヒーハウス」や「サロン」といった場所では政治に関する議論が闘わされ、次第に論壇や世論というものが形成されていったと本書は言う。 ただ、そうした言論空間に参加する事のできるのはある程度「上」の階級に属する人々だった。社会的地位というものはコーヒーハウスでは問われない。問われないが、ある程度の階級という大前提がまずもって必要だったのだ。 ところが、ネットの登場は現代にコーヒーハウスを復活させる結果になったのだ。 より正確に言うならば、コーヒーハウスよりも「フラット」な空間が誕生した。 門地・階級・性別・国籍・人種・年齢……そういった諸要素など一切関係の無い、単純に言論のみが必要となる場所・ネット。 そこに登場したのが簡単に個人の意見を表出できる「ブログ」で、現代では市井における新しい世論・論壇はブログにシフトしているのだという。 その中心になっているのは所謂「ロストジェネレーション世代」である。 大学生頃にネットの台頭を目の当たりにし、さらにブログという空間を得た彼らが新たなる言論空間を形成していったのは、あるいは当然の帰結と言うべきかも知れない。 ロスジェネ世代は社会への批判や提言をブログ論壇で表す。 そこには既存の価値観を代表する「紙」のメディア……すなわち新聞との対立が生じてきた。 これはそのまま「団塊世代 VS ロスジェネ世代」の対立の構図でもある。 併存か、どちらか一方の駆逐か。それは未だ判らないが、二つのメディアの間のパラダイムシフトが発生しているとするならば、「活版印刷」の技術が本格的に実用化された時代を思い出すのだ。 印刷技術の誕生においてはキリスト教における宗教改革による、カトリシズム=旧世代とプロテスタンティズム=新世代の世代間対立が発生していた。 当時のより先進的なメディアである活版印刷を巡って、宗教を軸としながらも新旧両派が対立していたのというのである。 これまでとは違う全く異質なメディアが世に出たとき、その誕生を受け入れられる人々と拒否反応を示してしまう人々の間では、どうしても大きな相克があるのかもしれない。 言うなれば、新旧メディア間の対立というのは、言論の表出を行うための発表媒体をお互いに異にする新旧世代間の対立の縮図ともなってしまうのだ。 そして両世代の間に互いを批判する心性が有ると、新しいメディアは新しい言論空間を造り出していく事になる。 それを止める事は難しいし、また不可能に近いのだろう。 活版印刷技術が後に新聞を生み、また大衆の世論を生み出したように、ネットという新時代に誕生した新世代の「場」は、また新たに誕生した携帯電話というツールを使うさらなる新世代さえをも巻き込みつつ、新たな世論として大成する時がやってくる。 そのような予感を抱く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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