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カテゴリ:愕然
早ければ、12月後半から就活は始まるらしい。
「勉強」と「就職活動」とは根本的に違う。 前者は自分自身が受け身でも、努力でどうとでもなる。 ある程度の自主性を発揮しながらも、基本的には与えられた目標をこなしていけば良い。 しかし、後者はどこまでも受け身では解決のしようがない。学生の頃までは周囲が朧気なレールを敷いてくれるかもしれないが、いざ社会に出る時となると完全に自らの自主性に基づいた行動をしなければならないのだ……憂鬱。 と、↑のように心情を吐露して思い出したことがあったので書いておこう。 「大学生がバカになった」などと言われて久しい。 識者とされる人々はそれを嘆き、諸原因の分析を行っている。 かつての大学生と比べて学問への意欲も感じられず、学力も低いとかなんとか。それが事実であるのか、それとも昔からそういうモノであって、よくある過去の理想化に過ぎないのかは知らない。それに、俺自身は大学の授業風景を見た事が無いのだし、現代の大学生がどの程度の能力を持っているのかというのも判らないので何とも言えない。 そうだ。 大学生に関しては何とも言えないのだが専門学校生、とりわけ俺の周囲に関しては確実に言えるかもしれない。 「バカ」 であると。 断っておきたいのは、ここで言う「バカ」というのが知能とか学力について劣っているというのではなく、学生として真面目にやる気が感じられないという意味の「バカ」である。 あくまで、あくまで俺の周囲に関しての話でしかないので眉に唾を付けて見ることを推奨するのだが、まず彼らは授業中の私語が多い。内容は多種多様である。それこそ教師の悪口からゲームの話、AV談義なと多岐に渡る。 次に携帯とゲームである。そこまでして攻略を急ぎたいのか? 板書をノートに書き写す時間とゲームをやっている時間では明らかに後者の方が長い。 が、ここまでは序の口でしかない。 呆れ果ててしまうような連中が居る。 「私語」という点では同じながらも、ある種の人々は授業中、絶対に前を向かない。 後ろやら横の席やらに居らっしゃるご友人方と楽しく談笑中である。 さらに酷い者もいる。退屈に耐えかねたのかノートから紙を切り離して、紙飛行機を作って飛ばし始める。 あるいは何の断りも無く席を立って、誰はばかることなくトイレに行く者。 繰り返して述べるが、これは専門学校の光景である。 小学生じみた、あるいは小学生でもやらないようなバカげた遊びを授業中に平然と行う連中が確実に存在している。 小学生の頃というのは、大人だとか教師だとかの「権威者」に対して従う事が漠然と良しとされていたような気がする。大部分では。 もちろん思春期に入って自我が芽生え始めると、権威に盲目的に従う事が馬鹿らしくなってくるものであるから、それは決して不思議ではない。 けれども、その反抗を18・19の青年が堂々と行っているのが現状である。授業中に。「従う」ことを小賢しいと思ったまま大人になると、こういう人間になってしまうのであろうか? 中二病の域をもはや逸脱したDQNであろう。それとも、人の一生におけるモラトリアムの期間が延長された弊害か。 毎年のように成人式で暴れる新成人が問題になっているが、専門学校における彼らの姿を見ていると「そりゃ暴れる奴の一人や二人は出るわ」という、暗澹たる気分にさせられる。 そして、この傾向は所謂「遊ぶため」に専門学校に進学した人々により多く当てはまっているように感じられる。 一応、他の専門学校生の名誉のために言っておくと、全員が全員こんな連中ではない。 真面目に授業を受けている奴も居る。が、先に述べたような、何のために学校に居るのか解らないようなDQNが多いのも事実なのだ。 彼らが壮年、そして老年に差し掛かった時、一体どんな人間になっているのか。 そのとき日本はどんな国になっているのか。恐ろしくてとても想像できない。 が、現代よりも衰退の度合いを強めているのではないかという悲観的な予想だけは、次から次へと湧いて出るから困りものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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