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カテゴリ:読書
群衆には匿名性を生み出す効果があり、それが責任の分散をもたらす。心理学者は早くからこのことを理解していた。文字通り何十という研究が示しているように、ある状況に傍観者が介入する確率は、その状況を目撃している人数が多いほど低下する。つまり、大群衆のなかで身の毛もよだつ犯罪が行われても、周囲の傍観者が介入する確率はきわめて低いということである。しかし、傍観者がひとりしかいなくて、責任を分散する相手がまわりにいない状況では、介入する確率は非常に高くなる。それと同じように、集団は責任の分散をもたらし、暴徒に混じった個人や軍隊のなかの兵士は、自分ひとりなら想像もできないような行為にさえ参加することになる。肌の色を理由に死刑を加えたり、制服の色を理由に射殺したりできるようになるのだ。
デーブ・グロスマン「戦場における『人殺し』の心理学」(ちくま学芸文庫・安原和見訳) 第四部 殺人の解剖学 第21章 集団免責――「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」 p256~257 衆人環視の中、電車のトイレに女性が連れ込まれて暴行されるという事件があった。 あの事件が報道された時、「他の乗客はなぜ助けなかった!」と厳しく批判する意見をよく見たが、彼ら正義感の強い人々は、もしも自分が同じような状況に遭遇したら勇気を振り絞ることができるだろうか? 集団心理においては、それは非常に難しい事なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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