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2008.12.02
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カテゴリ:読書


まりさ.jpg



ミシュレ「魔女」(篠田浩一郎訳・岩波文庫)読了。




 「魔女」、とは徹底した「少数者」の謂いであるという気がする。彼らは(という表現が適切かどうはともかく)、同時に弱者である。
イヴはアダムの肋骨を一本抜き取って造られたとされる。つまり、女は男からの派生物である。それに、蛇の甘言に耳を貸し、人類に原罪を造り出したのもイヴであった。だから「女性」性は悪であるのだ。
 かつて、そう考えられていた時代があった。
 女は教会から領主から社会から、つまりは当時の社会を形作り支配していた「男性」性から疎外された。
 彼女の味方は悪魔・悪霊・サタンと称される者。ミシュレはこの存在を「自然」と解する。
 そもそも「神霊」と「悪霊」という二語は、ギリシャ語においては同じ語を用いるという。二者は、その本質において同一のものなのだ。この「悪霊」=「自然」とはいったい何であるのか。キリスト教の倫理に基づく文化・社会を秩序の象徴と捉えるのなら、すなわちその対極に位置するものであり、それはキリスト教誕生以前に存在していた多神教的古代宗教であった。
 教会の支配が社会に根を張り始めた時代、かつてその地に存在していた異教的・古代的文化は神の名の下に吸収、あるいは排斥の道を辿る。そして、魔女と称される人々とは消えゆく運命にあった古代の知識の庇護者であり、継承者であった。けれども、彼女たちが異教的知識を継承しているという事実それ自体が、キリスト教会にとっては脅威なのである。そして迫害が始まるのである。
 魔女たちはサバトに集う。そこでは黒ミサが行われ、人々は乱交に耽り、赤ん坊は殺される。だが、つぶさに見ていくと、それは失われかけた古代的な祭礼の名残をなお留めるものに他ならない。古代宗教における儀式や密儀は、しばしば通常の精神状態から逸脱した状態で行われる。その恍惚とした騒擾の中に人は神を視、また神霊との融合を経験するのである。恍惚でなき状態で、人の心は地上を離れ得るか? 司祭として自らを去勢し得るか? 否であろう。
 けれども、それを観察する教会の眼差しは冷たい。いや、キリスト教会に限った話とも言えまい。多数派の社会から弾かれた少数者へ向けられる眼差しとは、常に冷たい物だ。人間は、自分たちと違う習慣を持つ者に対しては驚くほど排他的な意識を持ちたがってしまうのである。そして、「ひとが安心しきって凌辱を加えるのは、つねに下等の者、弱い者、みずから自衛の手段をもたない者にである」。(上巻101p)
 迫害される少数者、男より劣った性。魔女とはそう定義づけられるのだった。
 元より一つの価値観に貫かれた社会にあっては、外部に存在する物を排斥する事で内部の安定を保ちたがるのだ。
 時代がくだると、サタンは「勝利」する。
 古代的な知識が見直され、教会の権威から抜け出た新時代の思想が生まれ始める。同時にそれは魔女の死でもあった。社会に忌避された、彼女たちが秘匿し継承してきた知識が認められたのだから、その存在意義は薄れゆくという訳である。
 だが、依然として魔女裁判は存続するのである。
 女子修道院の中で抑圧された女たちは幻覚を感じ、男の聖職者との恋愛の結果、無残な末路を迎える者たちも居た。彼女たちは二面性の持主であった。彼女たちの神秘体験は、時として聖女のものであり、また別には魔女の仕業とも考えられた。ある者は聖女として歴史に名を残し、ある者は魔女として嫌疑をかけられて焼き殺された。
 「女性」性の一側面である大地母神的な「母」のイメージとは、紛れも無く古代的な異教に端を発している。魔女とは、そうした自然時代の権能を後の時代まで継承した人々であり、それがために殺された人々だったのである。同時にまた、「男に比べてより自然に近い野蛮な存在」として蔑視されていた女性たちが、キリスト教会的な価値観に支配されていた社会から忌避されていた「自然」の知識と結びつけられた末に、夥しい数の女たちが殺されていったのは、あるいは必然とはいえ避けようの無い悲劇だったのであろうか。一方が聖女として、もう一方が魔女として、神秘的な力を身に付けた女たちが全く異なる末路を辿る事もあったのは、やはり、社会を支配する価値観からの逸脱が認められるか否かという事にもなるのだと思う。社会に合致する限りは「内側」の住人として庇護を受け、逆の場合は「外側」を跋扈する悪として断罪される。残酷なようだが、それが時代を超えた人間の思考であろう。
 ミシュレが「魔女への鉄鎚」で魔女の処刑を訴えたヤコプ・シュプレンガーを善人と述べているのも、むべなるかな。彼は、その時代の社会的倫理を守るために精一杯だったのだ。後の世の人々である我々がシュプレンガーを非難するのは容易い。それどころか、当時の社会倫理を非難する事も。ただ、気をつけなければならないのは、彼らが生きた時代と現代とは価値観があまりにも違いすぎているという事である。
 シュプレンガーはそれが許容されうる時代の住人であり、そうした世界に生きている限りはその世界を益する方策を採らなければならなかったのだとも思う。それが現代的に見て、無数の命を灰燼に帰するような残酷な手段だったとしても。

 そもそも、我々が「外部」の人間を排斥しないように生きていると誰が保証できるというのだ? 今こうしている間にも、他の手段を知らない価値観ゆえの悲劇が繰り返されているかもしれないのであるが。後世の人々も、我々現代の人間が知らず知らずに行っているかもしれない「魔女狩り」を非難し、その未熟な価値観を将来に渡って嗤うのかもしれない。そうかもしれないし、杞憂かもしれない。予測が的中するかは判らない。タイムマシンでも無い限りは判りようが無い。
 だが、「内側」と「外側」に基づく悲劇だけは、後々の世までも永久に繰り返され続けるのではないか……そうしたペシミスティックな思考に陥ってしまうのである。







追記

むしろ魔理沙は「魔女」じゃなくて「魔法少女」な気がするんだぜ。


追記2

ゲーテの戯曲「ファウスト」で、ファウストがホムンクルスに導かれてサバトに参加する話が出てくるが、あれもギリシャ神話の神々やら何やらが大量に登場するという、非常に古代的・異教的な色彩の強いものだった。意外と文学なんかの中にも生き残ってるのかもしれない。





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Last updated  2008.12.03 01:22:43
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