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カテゴリ:日常の出来事
秋田は寒い。
雪、降ってるんですもの。 仙台はせいぜい霜が下りるくらいだったしなあ。 実家のPCのキーボードを打ち辛いと感じざるを得ない。 元来、完全な形でのブラインドタッチ(今はこういう表現を使わないんだっけ)ができるほどにキーボードの扱いに練達した人間ではないけれど、さすがに何ヶ月もノートPCの薄いキーボードを使用して慣れきってしまうと、いざデスクトップPCの厚みの有る方を……となると、ちょっと。 俺の指先の感覚も変わったように、家の電化製品やら家具のレイアウトも変わっている。 それどころか、俺の記憶の中にある懐かしき我が故郷も変わっている。ような気がする。 目に見えるような大きな変化が有る訳ではない。けれども、雰囲気というか空気というか、何かこう、「違う」のだ。 田舎、という空間は停滞しているように思われがちだが、実は最もその内的な推移を色濃くしているような気がしてならない。もちろん外的な変化や推移を見せるのは都会の方がその傾向が強いのは言うまでも無いけれど、恒常的に変化し続ける事を是とする都市と、動かない田舎との間には懸隔があまり無いようにも思える。 田舎にもたらされたであろう変化を、もっとも敏感に感じ取る事ができるのは「内側」と「外側」の感覚を同居させる事に成功した帰省・帰郷する人であろう。 彼は懐かしい「故郷」に向かうが、到着したのは既に彼の知っている「故郷」ではなく、どこかが決定的に変化してしまった「故郷」なのだ。 いつの間にか、記憶の中から生み出された全く別の「故郷」の姿を彼は幻視する。彼が帰りたがっていたのは実在の場所としての故郷ではなく、自らの思い出と記憶と郷愁の複合に拠って創り出された原風景としての「故郷」である。 それは今や過ぎ去った物でしかないのかもしれないし、あるいは初めから存在さえしなかったのかもしれないが、いずれ確かなことは、彼「自身」の内的な変化もそうした実感には大きく寄与しているであろうという事だ。 もしかしたら「故郷」は何一つ変わっていず、変わったのは「自身」だけなのかもしれなかった。それこそキーボードを叩く指先の感触が以前よりも、知らず知らずのうちに、大きく変化してしまったように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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