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カテゴリ:日常の出来事
まさに、俺の思い出などという陳腐な記憶は「解体」されてゆく。
俺が本当に帰りたがっていたのは故郷ではなく、郷愁という名の理想像に過ぎなかったのだ。 過去の記憶を無意識に美化していた――という事とは、違う。 俺はあまりにも外部に長く居過ぎた。 だから、視点を決定的に違えてしまったのだろうと思う。 俺は、既に、外の人間だった。 安部公房「箱男」(新潮文庫)を読了。 「社会への帰属を拒否……」云々の裏表紙の記述を見て、徳南晴一郎の漫画「怪談 人間時計」みたいな話を想像していたのだが、全く違った。当たり前か。 箱男は逸脱を是とする人であると同時に、覗く人であり、覗かれる人でもある。 何というか、「人間時計」の声タダシが社会との一切の接触を拒否しようとして叶わなかったのに対し、箱男の方は完全に隔絶された世界に生きている。箱とは境界みたいなものだ。外部から覗く人となるにはこの箱が必要となる。贋箱男が箱を被ると、彼は一転して覗かれる立場の人間となるが、もしかしたら、実にあやふやで曖昧かもしれない。帰属という行為と、そこからの逸脱とは。 で、「箱男」を読み終わったのでヘルマン・ヘッセ「荒野のおおかみ」を再読し始めた。全体として一番最初に掲げられている章では、その記述者がハリー・ハラー氏を見た印象が書き連ねられているのだが、それを見た限りにおいてはハリー氏はごく普通の市民的生活を営む「私」に憧れを抱いているようにも見受けられる。彼がアウトサイダーだからか。「私」がハリー氏に「分裂」した印象を抱いたというのは、あるいは彼が普通と違うことを印象付けるためだろうか。だからハリー氏は分裂しない、普通の生活にただならぬ憧れめいた物を持っているのかも知れぬ。 ニコニコ動画の妹のアカウントね……。 履歴がテニプリミュージカルで埋め尽くされていたよ(見るなよ)。 フタエノキワミ アッー!とか言い出さないだけマシかもしれないが(古い?)。 つまり、ニコ厨ではないかもしれないということだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.23 22:57:01
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