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カテゴリ:日常の出来事
思い出というものの潰えた冬休みだった。
帰りたがっていた郷愁の中とはあまりにも異なる光景が故郷には広がっていたし、実家の有様も言うまでも無い。変わってしまった俺の内面では、いつの間にか故郷、さらに突き詰めて言うなら実家と言う存在があまりにも理想化・神聖化されすぎていて、実際に帰ってきたときに初めて失望を覚えざるを得なかった。 田舎だから? 違う。 都会よりも何もかも遅れているから? 違う。 ただ何かもが、あまりにも「大した事が無い」と言うことに気が付いてしまったからであった。そこに故郷が栄えようが滅びようがまるで関係がなく、ただ自分の家族というものの俗人的な側面といおうか、そこにこそあまりにも大きな幻滅を見た。考えてみれば当たり前の話で、実家を出る前からその事は重々承知、既に何度も解っていて刻み付けられていたはずなのに。色々と劣等感に塗れた今現在となっては、そうした欠点じみたものが殊更に大きく心に響き渡る。嫌になって仕方が無い。ああ、この人たちは何にも変わってもいなかったし、変わろうともしていない。少なくとも、自分の息子に対する認識がいつまでも変わっていない事は確実だ。いつまであなた方は、自分達にとっての記憶の中の「息子」像に固執していますか? あなた方の認識していた俺はもう居ませんよ。かつてとは能力も知識も思考も興味の対象も異なっているのですよ。「母を背負ひて」「軽きに泣」いた石川啄木の心境には、少なくとも今の俺はなれそうもない。 休みに実家に来たというのに逆に窮屈だった。 ああ、正しく中二病の過程を得ないで成長し、今更に発症してしまうことがこれ程までに苛立ちを覚えるものだとは思いもよらなかったんだ。 この冬はそういう訳です。 明日仙台に帰ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.05 20:27:54
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