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tartaros  ―タルタロス―

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こうず2608

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2009.02.18
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カテゴリ:読書
「不景気なので一年の終わり頃から就職活動を始めよ」

「2月末~3月初頭にかけて全生徒対象の補習開始。就活は後回し」


↑この二つの相矛盾する主張が当たり前のように同時に行われる我が校。
THE・二律背反。






 久米田康治「さよなら絶望先生」第十六集(少年マガジンコミックス)を読んだ。
相変わらず面白いのか面白くないのかよく判らない内容だが、ずっと継続して買い続けているって事はやっぱり面白いのかもしれぬ。それにしても毎週毎週、時事の話題とエピソードごとのテーマをリンクさせる手法には脱帽モノである。
 で、第百六十話「最後の、そして始まりのエノデン」が印象深かったので、それについて少し書いてみる。


「行き先不明のミステリートレイン」に乗り込んだ絶望先生。
 が、彼は「最初から到着駅は決まってる。世の中そんなことばかり」と主張する。端的に言ってしまえばこれが今回のテーマだ。
 つまり、自分の中でどうしたいかの結論は既に出ているのに、やたらと他人に自分はどうすればいいかの回答を求める人が増えている……そういう事。思うに、ある決めかねた事がある時、人間は、もしかしたら八割方くらいはこうすべきであるという結論を自ずと導き出しているに違いない。それをわざわざ他人に対して自己の結論とは全く反対の選択肢を提示してまで質問を行うのは、取りも直さず「自信が無いから」なのだろう。自己の内部から現れたある疑問への回答は、もしかすると見識の狭さ故の独善的で身勝手なものかもしれない。間違っているのかもしれない。そうした不安が見え隠れする。
 自分自身の意思で結論を出しておきながら随分と勝手な話ではあるが、誰かからそれは正しいと言ってもらえる事は非常な自信に繋がるものだ。だから、自分自身で八割の回答を出し、残りの二割を他人からの助言を受ける事によって自分が作り出した本来の意思を裏書きするのである。
 これは何もそれほど珍しい事ではないのではないだろうか。
 例えば占いなど、あれは科学的根拠云々という側面から見れば疑わしきこと限りも無い。けれども、人がより良き方面に進みたい、あるいはこうした方が良いのではないかという漠然とした方向性を朧気ながらに持っている状態にある時には決断を促すとても大きな補助手段になろう。人は誰かに認められる事を求めているのであり、「決断」という局面においてもそれはまた然りなのだ。
 
 ……という話を、いつものように羅列ネタ等を駆使しながら展開していたのである。ここまでならいつものような「あるある」パターンだが、ミステリートレインは終局において急速にアイロニックな方向へと走り始める。
 すなわち、多くの人は何かを決断しようと思案する時、結局は何も決められずに問題を「先送り」してしまうというオチが待ち構えていたのである。
 劇中でも明言されているが、困ったことにこの「先送り」という終着駅は議論の対象がより重大な問題であるほどに行き着きやすい。「○○か××か」という明確な二者択一の議論であった場合、結論を始めからどちらかに絞って用意する事が可能である。だが「○○か××か」という選択肢自体の単純性が存在していたとしても、問題によってはどちらの結論を選ぶにしても「選んだその目標を如何にして達成すべき哉」という建設的な新しい結論を提示しなければならない、さらに大きな問題が立ちはだかるのだ。
 人間が真に恐れているのはこの目標達成の手段の案出であり、重要局面における「○○か××か」という問題を先送りしてしまうというのは、そこに直面する苦悩を本心でひどく恐れているからなのかもしれない。

「さよなら絶望先生」は皮肉と諧謔に富んだギャグ漫画ではあると思うが、この「最後の、そして始まりのエノデン」というエピソードは、その中でもさらに特異なまでにアイロニックな作品であるようにも見受けられる。特定条件下で現れる、どうしようもなく避け難い人間的な心性がよくよく描写されているのだ。
「行き先不明のミステリートレイン」という舞台設定自体が冒頭で明確に提示されている通りの「結論の既に出ている疑問」のメタファーであり、我々は皆、例外なくその列車の乗客なのである。





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Last updated  2009.02.18 23:08:11
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