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カテゴリ:日常の出来事
受験生にとっては何度目かの天王山となる国公立大学二次試験が行われた本日、専門学校の期末考査を受けて来た。 これで進級ができるかどうかが決まるもので……まあ、俺の記憶が正しければ今まで出席は皆勤であるし、課題等も何とか期限内提出をしているハズなので、その貯金を切り崩せば進級自体は何とかなるかもしれない。 しかし一般教養がアレすぎる。特に数学。 マークシート式の全五十問で、「国語」「地理」「歴史」「数学」「英語」「芸術」「理科」「情報」の8科目が詰め込まれていたのだが、「数学」の九問が全く解けずに全て勘で答えるという快挙(一般的には暴挙と呼ばれる)を成し遂げてしまった。 自分でもたまに思うが、俺はよくこの程度の頭で 高校入学 → 高校卒業 の流れを達成する事が出来たものだ……。「模試の参加が任意」っていうアレな商業高校だったけど。偏差値にしたらすごく可哀想な数字が見られると思うぜ、きっと。 しかし、これでも高二の時に受けた秋田県内の商業高校を対象にした学力テスト(対象範囲が狭いw)で「社会」だけは第一位になった事はあるという過去の事実が俺の矮小な自尊心を満たしていたりするから手に負えない。 当時の三者面談で、件のテストの結果を受けた担任から大学進学を考えてみないかと言われたが、英語の勉強がすごく嫌だったので断ったというは我が人生最大の汚点というか黒歴史である事は言うを俟たない。何故あそこで「努力する」という選択肢を選ばなかったのだろう(笑) で、高校卒業間際に全生徒対象の面接練習を受けた際の話。 俺を担当してくれた教師が「もっと自分に自信を持って良い」と言われた。 そして、高校卒業直後の話。 ある日、父とラーメンを食べに行ったのだが、「お前は少し卑屈すぎる」と言われた。 以上の話を総合すると、「自身を持って努力すれば」よかったのだろうが今となってはもはや後の祭りだね。 つーか、専門学校に進学した事自体はそれほど後悔してないけど、目標無き人生は本当に生き辛いとこの一年で思い知った。よく「目的も無しに大学に進学すると後から辛くなる」という話を聞くが、事情は専門学校でも同じだろう。あるいは初めから明確な専門性の教育を志向する後者の方が辛いんじゃないだろうか? 自身の内面にシッカリと目標を定めぬまま、何となくモラトリアムを訴求して入学した人たちに共通して見出せるのは、たらひらすらに「今が楽しければ良い」っつー不真面目さの発露。授業なんてマトモに聞きゃあしない。 俺が籍を置く学科は大半がそんな連中だ。 何とかしなけりゃならないという自覚は確かにあるんだけれども、結局は俺自身も前者に属している人間なのだろう。でなければ始めから努力してただろうしね。 「過去にできなかった事を嘆くなら、今から新しく始めればいい」という事をアランは「幸福論」で述べていた訳だが、人生というのは大半の人間にとって、出来なかった過去に対して現在からやり直す事を塗布し続けるという騙し騙しの連続かも知れぬ。その果てに少しでもより良き未来が待っている事を信じて。 一心に真面目に何かに打ち込める人っていうのは過去を悔いずに生きる事ができるのだろうか。俺はそんな人間ではないので判りかねる。 少なくとも、フロイトの定義する「積極的幸福追求」「消極的幸福追求」では間違いなく後者なんだろうなあ、俺。 せめて就活だけは真面目にやらないと。 おや……テストの話なのに思いのほか長くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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