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カテゴリ:時事ネタ
「じぇんこ出せ」にリアリティー…供述調書は津軽弁のままで
まさか日本人相手の取り調べで言語の壁が発生するとはw 津軽弁は沖縄弁と並んで「日本で最も難解な方言」だとされているらしいが、それは事実である。個人的な体験で恐縮だが、小学生の時、国語の授業で日本各地の方言で昔話「桃太郎」の朗読を聴くというものがあった。「桃太郎」はもともと広く人口に膾炙しているだけの事はあり、どこの地方の方言であってもだいたいの意味は通った。 だが、津軽弁と沖縄弁だけは終始一貫して全くと言っていいほど意味を汲み取る事ができなかったのである。 地方の人間ならある程度解ると思うが、方言というものは(実際は細かい違いこそあれ)地方や地域によって強い類似性・類縁性を帯びている。もちろん秋田と青森も例外ではないが、その点を鑑みても津軽弁は他県・他地域の人間にとっては異常なまでに難解である。東北で生まれ育った人間は、仮に自分の出身県以外の方言であっても「東北地方」という大きなカテゴリーの中でなら大まかな理解や推測が可能なはずだ。が、津軽弁に限ってはその予想がまるっきり外れる。とかく難解で、おそらく地元に住んで慣れ親しんだ人間しか理解できない。つまり同じ東北の人間にも理解し難い部分がある。 そのため、同じ日本人同士の日本語を使用した会話でありながら、下手をすれば間に通訳を挟む必要性すら生じるのではないかと思えてしまう。 そう言う訳で、日本語における方言というのは非常に厄介な問題を孕んでいるのだが、それ以上に厄介なのは標準語に「翻訳」した際に、もともと持っていた感情の発露としてのニュアンスが失われる恐れがある事であろう。 リンク先の記事でも指摘されているのだが、例えば「わ、頭さきて、石で殴ってまったじゃあ」という感情のこもった言葉を「私は頭にきて、石で殴ってしまったのです」としてしまうと、原語の持っていた感情的な意味合いが薄れて妙に理性的に見えるようになる。“頭さきて”石で殴ったのに、標準語だと落ち着きを持っていたように解されてしまうかもしれないのだ。これは厄介。 モノが日本一難解と称される津軽弁だからこそ起きる問題なのかもしれないが、こういう話題を見ると「日本語とは何か」という大仰な問題に思いを馳せてみずにはいられない……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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