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カテゴリ:日常の出来事
知性も学歴も人間性も大学生には敵うところの何一つない専門学校生でも、ただ一つだけ優れているところが無くは無い。何の本を読むかを学校の授業に左右されず済む(学科によりけりかもしれないが)。
だというのに最近は暇さえあれば惰眠を貪り――というか文字通り、本当に三時間ぐらい余裕で昼寝をしていたりする。どうなってるんだ。おかげで最近は読書といえば電車の中でチェーホフをちょびちょびと読むくらいですよ。しかもそれですら常に眠気との闘いを並行させなければならないという。 しかし、休日が続くと本当に暇だ……春休みが終わったというのに授業開始までさらに四日間の休日を間に挟んでいるんだから。 たとえば、我々の日常は常に「ポジティブ」と「ネガティブ」の二つの要素のどちらかに支配されているとする。通常、仕事や学校がある日は「ネガティブ」で、休日は「ポジティブ」だ。人間はこの「ポジティブ」の要素を欲するが、それがずっと続くとむしろ「ネガティブ」を積極的に欲するようになってくる。現象における「ポジティブ」と「ネガティブ」の逆転現象が発生する。 我々が「ポジティブ」を好み、また過ぎ去るそれを愛惜するのは常に内なる「ネガティブ」の存在を感じ取ってその影に怯えているからであり、完全に「ネガティブ」の要素が排除された「ポジティブ」だけの日々はただひらすらに単調というほかは無い。事ここに至って「ポジティブ」自体が「ネガティブ」へと変化するのだ。人々が祝祭的空間を歓迎するのは、この「ネガティブ」からの一時的脱却であり、だからこそ通常は抑えつけられている常識の観念という“タガ”が外される。それどころか積極的に奨励されさえもする。が、常に祝祭という「ポジティブ」が常態化すると、それはもはや単なる無秩序でしか有り得ず、倫理無き獣の徘徊する荒野へと人の世は変貌してしまうだろう。 招かれるべき存在は、常に招かれざる存在と手を結んで交互にやって来るからこそ喜ばしいのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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