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tartaros  ―タルタロス―

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こうず2608

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2009.05.11
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カテゴリ:読書
 ……しかし、私たちが病人としてベッドで送るいく日かは、それがどんなに長い連続のいく日であっても、どんなにまたたくまに過ぎてしまうかを、読者に思い出してもらえれば、ここでは一まず十分である。毎日が同じような日のくりかえしであるが、毎日が同じような日だとしたら、「くりかえし」というのはほんとうは正しいとはいえないだろう。単調とか、永遠につづく現在とか、悠久とか呼ぶべきだろう。君の枕もとへ正午のスープが運ばれてくる、――昨日も運ばれてきたように、そして、明日も運ばれてくるように。そして、それを見た瞬間に君は悠久の気にあてられるのである、――どんなふうにあてられるのか、どこからそれが吹いてくるのかは君にもわからない。とにかく、スープが運ばれてくるのを見たとたんに頭がくらくらとして、時間の区分がわからなくなり、区分が溶け合ってしまい、君の目に万象の真実の姿として映じるのは、枕もとへ永遠にスープが運ばれてくる、前後のひろがりのない現在である。しかし、永遠を前にして退屈であるとかないとかいうのは、矛盾もはなはだしい。






 なんだか、手塚治虫「火の鳥 未来編」を再読したくなってきた。

 ニーチェの「ツァラトゥストラ」を読んだ後だと、アレは地球上で繰り広げられる人類という種族そのものの永劫回帰についての物語だったのではないかと思えてならない。ニーチェはツァラトゥストラという人物の姿を借りながら、繰り返される生から逃走することなく現世を肯定し、かつ打破することのできる「超人」を待望していたわけだが、「火の鳥」では世界の創世と滅亡を何度も繰り返す人類そのものが、いずれ間違いに気がついて「命を正しく使ってくれるように」と火の鳥が待望する物語だった。
 不老不死として在る火の鳥は、始まりこそあれど終わりに辿りつくということが無い。いわば、その始まりからして既に生と死の輪から解脱した者であると言える。
 ニーチェが永劫なる生の連環に立ち向かう者の誕生を祈念したように、いずれ「命を正しく使」うことを知った人類は死と誕生の命運を受け入れながらも、乗り越えようとせずにはおかないだろう。途切れの無い連環構造から人類が解放される時は、自己を克服して永遠を手にするべき時代なのかもしれない。その時こそ種を縛り付けていた鎖は外れ、永劫回帰という滅亡と誕生の連環は終着を見出さない真の永遠へと変ずるのだ。






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Last updated  2009.05.11 22:56:06
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