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カテゴリ:日常の出来事
また劣等感が凄い。
「過剰な自意識と肥大する劣等感」。そんなドストエフスキー作品の主人公みたいな感じか。そのうち地下生活者と化したり、ドッペルゲンガーに悩まされて発狂したり、目的が善なら手段が悪でも許されるとばかりに高利貸しの老婆を斧で殺害しようとしたりするかもしれない。いや、当然しない。あー、まあ、死にたい死にたい言ってる奴ほどしぶとく生き延びるのと同様、何らかの形で吐きだしている以上は大丈夫に違いない。 感情のまま声という手段を媒介しない訴えは、文字という手段による放出を経ると、逆に内面に鬱屈していくという危険も無いではないと思うけれども。 しかし、某ラスコーリニコフのようなある種の「革命家」とでも呼ぶべき人物には、あえて凡俗な正義を踏み越える力があるべきだ。天命を革むるということは既存の価値規範を粉砕し、その瓦礫の上に新しい城郭を造り上げるも同然なのだから。一時代の価値に準拠したままの変貌は革命ではなく改革である。であるならば、あえて価値という古びた城郭という城郭を、都市という都市を破壊するほどの思想・気慨・手段がなければ話にならない。けれどもたった一人、あるいはごく一部の人々の独断による天命の新造は、常に独善と化す危険を孕みつつ進行する。傍目には堅牢で華麗な城郭も、裏側に回れば腐り果てた死体が氾濫する張りぼてに過ぎぬという史実が幾度あったことだろうか。そのくせ骨と皮ばかりになった人々が喪失した沢山の肉を独善的な革命家が喰らい、肥え太っているのである……あれ、何の話だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.13 23:41:02
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