|
カテゴリ:日常の出来事
ちょっと学校の方で催された旅行じみたイベントで、山(標高五百m)に登って来た。 麓から山頂までの間に各種の仏教施設が立ち並び、石段を全て登りきると煩悩が消滅するという。で、自分も時間の許す限り登ってみたのだが、さすがに頂上から見下ろす景色というのは遥かに遠方まで見渡せる分、地上からで想像もできないものである。空気のにおいというか、そういったものに幾分か花と土のものが混じっていた。 ふと思ったんだけれども、こうして寺院が山頂に建立されていることがあるのは、参拝者が自分の足で登りきることにより達成感と疲労感を同時に感得し、それが信仰心を介することにより宗教的エクスタシーに導かれることを期待してのことなんじゃないだろうか。本当のところはよく解らないのだが、日本人の古い宗教観念では死んだ祖先の魂は神と成り、身近な異界としての山に住まうようになると考えられていたという話もある。「遠野物語」などにおいて、あまり人の立ち入らぬ山の中が妖怪変化の住み家として意識されていたことにも見られるように、普段の生活とはかけ離れた一種特別の霊性が山に存在していることを考えることもできそうな気がする。山の霊性を認めた時、全身を包む疲労は単純な登山の結果という無味乾燥な状態を突き抜けて、肉体を祝福する甘美な宗教的儀式の結末へと成長するのだ。 つか、寺と神社が至る所で普通に混在しているというカオスな山でした。 山頂の寺なんて、お釈迦様を祀っておきながら賽銭箱が置いてあったし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.05 23:07:27
コメント(0) | コメントを書く
[日常の出来事] カテゴリの最新記事
|