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カテゴリ:日常の出来事
「凄まじい音とともに地面が揺れる。
――爆発、ですか? 私が問うと、彼は白湯とさして変わらぬ出涸らしをすすり、 ――だから何だと言うのか。 と答えた。 ――何だ、と言うが、あの爆発が君に何の関わりがあるのかね。 ――危険じゃないのか? 言いながら私は、その問いに彼がどう答えるかを予測していた。 予測していながらそれを問う。あまりにも愚かだ。 ――危険などと言うが、あんな爆発などなくても、危険などは市井のそこらに転がっている。 ――不発弾など何処に埋もれているか知れたものではない。 ――車に轢かれる事も、誰かに刺される事もあるかも知れない。 ――体の何処かが遣い物にならなくなる事だってある。 ――特に君のような不摂生は、危険の塊ではないか。 りん、と、何処かで風鈴の音がした。」 京極夏彦の小説は「姑獲鳥の夏」と「魍魎の匣」しか読んだことがないんだけれども、↑のコピペを一見してもよく解るように「――」を多用しているというのが印象に残りやすい文体だなあと思う。奈須きのこあたりもそんな感じかも知れんが、こういった文体はどこか怜悧というか、冷たさを想起してしまうような気がする。個人的には。 ただ、際限なく使用し続けると一気に文章が厨臭くなってしまうという両刃の剣。素人にはおすすめできないが、見れば見るほど使いたくなってくるという恐るべき性質を持つ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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