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カテゴリ:小説紛い
前回の。
―――――― 「輝夜」 と、突然に妹紅より声をかけられて、輝夜は考えを途絶させられた。 気が付けば、直ぐ隣に懸想の相手の両の瞳が煌々とあるのである。むろん、輝夜と妹紅の位置関係からすれば、それは言うまでも無い事実なのであるが、ふつふつと考えを巡らしていると、そんな疑いようのない状況でさえも意識からは抜け落ちてしまう。けれど、それも蓬莱山輝夜の藤原妹紅を恋いうるが故の事であったろうか。そもそも自分にとってどうでもいいものが隣に居ても、あれこれとその人物についての考えを巡らす機会というのは決して多くはあるまい。 そのまま二人は、互いに何を言うでもなく見つめ合うだけであった。 が、やがて冷え冷えとした夜の風が彼女らの身体を容赦なく刺し貫いた。そういえば、未だ冬ではないとはいえ日の無い夜間は当たり前に冷えるのである。それを忘れるほど二人が逢瀬を楽しんでいたと言えば聞こえは良いが、要するに感情の昂るあまり、呆気に取られていただけであるのだろう。はッとした顔で妹紅が瞼を見開いた時には、既に輝夜は恋人の身体に抱きついて、自身の頭を妹紅の預けてしまっていた。 「お、おい」 「何よ――いつもしていることじゃ、ないの。何をいまさら」 「そうじゃなくってだな……お前ン家の連中に見つかったら何て言われるか」 「皆、私たちの関係については知り過ぎるくらいに知っている。特に永琳はね。“月の頭脳”の異名は伊達ではない。どのイナバよりも、彼女が一番最初に気が付いたのだから。子供みたいに泣いて私を引き留めた時の鬼気迫る様子ったら……。それより、妹紅の方こそ、あのワーハクタクの先生さんはどうしたのよ?」 「アイツは……慧音は、友達だよ。他よりも親密な。でも、今の私たちみたいな関係じゃない」 頼りないながら、それでも断定を旨とする妹紅の口ぶりを輝夜は嬉しく思った。 歴史に関与し、人里の守護者であるワーハクタク・上白沢慧音。藤原妹紅との付き合いは蓬莱山輝夜の方が幾層倍も長いながら、慧音と妹紅の親密さといえば彼女の耳にも届いていた。というよりも、妹紅に関する事だからあえて耳にもしたと言った方が正確だったろう。二人の親しい間柄に、かつての輝夜が内心で嫉妬を覚えていなかったと言えば嘘になる。けれど、今では妹紅とここまで深い交わりをしているのは自分だし、二人があくまで友達であるという言質も取ったのだ。いつかの劣等感は、今や優越の感情へと変化して輝夜の心を端まで満たさずにはおかなかった。 ……安心のため、輝夜の拍動は次第に落ち着きを取り戻し始めた。が、今度は輝夜の頭を胸に預けられた妹紅の鼓動の方が早まりつつあるのを、輝夜はすぐに気が付いた。薄いシャツ越しの体温が異常に温かく感じられ、膨らみかけた少女の柔らかい胸が頬を押し返そうしている。 輝夜とは、何から何までまるで対照を成す妹紅。持てる者と持たざる者。黒い少女と白い少女。今、この二人が同じ一つの時間と空間を許容し、共有している。既にして諦め続けてきた二者が、夜気を胸一杯に吸い込んで熱い身体を冷ます閑暇を潰す麗人が如く、どことも知れない死の匂いを嗅ぎ分けようと、その肉体を共に昂らせていた。 しかし、鏡に写った自らの像がいくら明瞭であっても、決して手を触れることができないように、二人の運命とは交わる事が決して有り得ない。共有とは、果たして自己を瞞着する事と紙一重である。手に入らないものを遠ざけて、あえて半分は相手に譲ってしまう事なのだ。 けれど、それは臆病だからではないだろうか。 そう、輝夜は考える。何かを手に入れる事で、今までの自分が際限なく破滅してしまう事を、どこかで漠然と怖れているのではないか――――と。 「ねえ、私と――蓬莱山輝夜と“死ぬ”つもりは、あるの」 「……私たちが、蓬莱人がいま生きてるってことが、もう死んでるも同然じゃないか。“死”によって完成されない“生”は、いつまで経っても止まる事を知らない腐敗みたいなものさ」 「私は、貴女と一緒に死ぬ準備が出来ているわ」 言うと輝夜は妹紅の胸から身を起こし、懐に腕を差し入れて一振りの短刀を取り出した。 蒼い月光を一杯に反射する鞘には黒い漆が塗られている。他には装飾といって何もそれらしいものは見受けられないが、どうにも長さだけは少女の肘までに少し足りないくらいであったろうか。胸に突き入れようと思えば、実に容易いはずである。 「やめとけ、やめとけ。痛いだけで楽しくなんかないっていうのは、お互いによく解っているじゃないか。そういう大事な物は、もっと……こう、有意義な事に使おうぜ」 「でも、刀は人を斬るための道具だわ。人を斬らない刀はただの棒切れよ。死なない人間が、ただの死体と趣をそれほど異にしないように」 「それじゃ――。ちょっと生首を狩り集めて“首遊び”でもするかい?」 極力、妹紅はおどけて言った様子だった。 生首を狩り集めるということは、言うまでも無く人殺しを推奨している。藤原妹紅らしからぬ冗談である。普段の彼女ならば、相手がそんなたわごとを発するや否や、烈火の如く怒り狂い(おそらくは本当に烈火を噴出させながら)、殴りかかりでもしたことだろう。けれど、自ら進んでそんな冗談を口にする彼女は、いつもとは幾分か様子が違うように輝夜には見える。月の光は、人間の意識をさえかくも酷薄さの領域へと引きずり込むものか。 「いやね。そんなのは鈴鹿の山で桜の毒気にあてられた奴のする事よ。悪趣味だわ。それよりも」 と、輝夜は笑んで、答えた。 短刀がいつの間にか、鞘から抜き払われ、刀身を明々と暗夜に晒している。輝夜自身、その動作をいつ自分が行ったのか記憶に無かった。月光を受けて銀色のはずの刃は金色に輝き、まるで自分がどんな目論見に使役されるかを予見しているかのように怖ろしげな悦楽を放っていた。 「――それよりも。首遊びよりも、もっともっと悪趣味で、もっともっと苦痛に満ちた楽しみを、私たちは知っているじゃない」 金色の刃を、まるで捧げる様にして然と片手に握り締めたまま……。 輝夜は再び妹紅元まで身を伸ばして、何が起こったか解らないとでも言いたげな妹紅の唇に、すぐさま『容喙』し始めた。 ―――――― 続きます(たぶん次で最後だと思う)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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