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カテゴリ:与太話
pixivって格差やばくね?
―――――― 何で、こんな一年も前のスレッドを引っ張り出してきたのかというと、数日前にpixivに登録したから。 ちょっと小耳に挟んだ情報によると、あそこは描かずにROMる人:実際に描いて投稿する人の割合が、だいたい7:3くらいなのだそうである。 俺自身は絵を描かないっていうか描けない人間(ド下手クソ)なので、必然的に7割のROM専というマジョリティ形成に与する立場になってしまう訳なのであるが、短い時間ながら色んな絵を見て回ったところ、上記スレッドに挙がっている『格差がヤバイ』という意見に対してフト思った事があった。 しばしば、pixivにランキングに載るのは東方だのボーカロイドばかりだと嘆く意見がある。それは、まだ良いのである。その時々の流行り廃りはいつの時代にもつきものだ。ある文化の中で何かが爆発的に流行してメインストリームと化し、世間に浸透すると、たとえ短時間であってもそれ以外の潮流は脇に押しやられるか、あるいは忘れ去られるか、ひどい時には攻撃の対象になって破壊されてしまうものである。 だから、東方やボカロがいくらpixivを席巻しようが、それはそれで「そういうものか」と許容し納得する余地は、まだしも有る。 しかしながら、『ヤバイ』格差というものは、容易に解消し得るものではあるまい。 単純に絵の上手い下手で比べるのは早計である。 何かの技術――とりわけ芸術に関するものは、ある一定のレベルにまで到達すると、“ここから先は個人の思考と判断に基づいて評価すべき”という領域が確かに存在するからだ。 では俺がいったい何を言いたいのかと問われるならば、要するに、『ヤバ』さについて嘆かれるという点において、見る側が創る側に対して無言のうちに求めているのが『解り易さ』ではないのかという事なのである。 東方・ボカロの人気が出る理由については、『流行』『知名度』という事で大方の説明がつくと思われる。が、同じテーマを扱っていても人気・不人気の差が存在する事もある。それにも増して深刻なのは、誰にも顧みられないまま埋もれていくハイレベルな作品の存在だろう。 悪い例ではあるのだが、いわゆる『携帯小説』を例にとって考えてみたい。 携帯小説が一時期爆発的にヒットしたのは、それがかつての文学作品にみられた様な小難しいテーマを内包するでもなく、かといって現代的文芸としての面白さを追求するでもなく、ひたすらに恋愛恋愛セックスセックスセックス難病闘病病没という、明快といえばあまりにも明快すぎる構造を有していた故のことではないだろうか? つまり、アレで感動した読者は、非常に単純な形式で感動というカタルシスに至る道を提示されるという、『解り易さ』の恩恵に浴していたのだろう。 pixivに、これと同じ考えが通用するかどうかは未知数のような気もするのだが、当該SNSにおける人気とは、つまり100%技術的な部分の上手さに比例する訳ではない。 それが何であるのか、何が自分の欲求に対して鋭敏に働きかけてくるのか。 見る側が、見てみたかった何かに対する漠然とした欲求を十全に満たしくれる、良かれ悪しかれ『解り易さ』に左右されるのかもしれない。 見る側の欲求を即時に満たしてくれる可能性の高いものの方が、評価される機会が多いのだ。 言うなれば、芸術志向の作品というものは、どちらかと言えば人目に触れにくく評価自体も少なくなってしまう傾向にある、ということだろうか。 だから、上手いにもかかわらず正当(と思われる)評価を下されずに燻っている絵師というのは一定数が存在するのだと思う。 そういった点では、文学や小説と同じで、絵画やイラストにも難解さ・明快さいう要素は確かにあると言えると思う。 しかしながら。 こうした趣味のSNSで評価が云々、人気が云々といった点を気にするよりは、自分の好きなようにやり続けるのが最も健全という気がするのも、また確かではある。 それが難しいから苦悩するのだろうけれど……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.03 22:49:04
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