農業を選んだワケ#2
農業を選んだワケ#1シリーズの第2弾です。もともと自分は体が丈夫なほうではなかったと思う。引越しで環境もガラリと変わってしまった。以前住んでいた、田んぼやタマネギ小屋?なんてものは見当たらなくて、アパートのすぐ近くにガソリンスタンド。窓を開けるとガソリンやオイルの匂いが漂ってくる。用水路ではなく、生活廃水などが流れるほとんど流れの無いドブのような水路?同じ大阪でも環境の違いが大きかったです。いつしか自分の体も、そういう環境に影響されてか、風邪を引けば常に扁桃腺を晴らし、夜中ずっと点滴を打ったり、喘息もちになっていた。熱を出すたびに母のママチャリの後ろに乗って病院に走っていたのもうっすらとながら覚えています。そして、家庭菜園を作るようなスペースも存在しない。その時の自分はきちんと野菜を食べていたのだろうか?確認してみましょうかね。父の職場から近くはなりました。しかし、平日はほとんど会うこともなかったような気がします。休みの日は、遊んでもらいましたが…母曰く「お金を持ってきてくれる人」と自分は言っていたようです。(苦笑)ま、自分のときは、まだ給料も振込みでなく現金でしたので、まだ父のありがたみもわかったかもしれません。妹が産まれ、現金から給料明細の紙切れだけになった時、妹は「お金が無ければ銀行にあるよ!」と言ってたのもうなずけます。(再苦笑)引っ越してから5年間は、この土地で暮らしました。いろいろと子供ながらに親を見ながらいろいろと感じるものがあったかもしれません。家族のふれあいがなかったわけではありませんが、後々いま農業をしているこの鹿児島の地に来て、家族との時間のあり方に衝撃を受けたのも事実です…さて、あまりいい思い出を書いていませんが、この地でも自然とのふれあいはやっていました。そのことについては、次回#3で重点的に書いてみようと思います。