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雨模様の中、今年の願い事を考えてみる。 思えば、過ぎ去りし日々が、走馬灯のように駆け巡る。 思い出となった懐かしい日々。 思い悩み、あがき、苦しみ、、、どん底だった過去の自分も居れば 笑い、楽しみ、感動し、、、一喜一憂していた自分も居る。 最近、よく考える事に、「不安要素」というものがある。 普通に生活していても、どうもしっくりこない、何かが足りないといった 漠然とした不安! いったい、原因は何か?と、色々と考えてみた。 どうやら、「金」の事のようだ。 人間、いざ何かやろうとすると、必ず資金が必要となる。 ただ単に、普通の生活をしようと思っても、、、極端に言えば、、、 ただ生きていくだけでも、金は必要だ。 まずは住むところが必要だ。これには家賃という対価が必要となる。 食っていくための食費に、光熱費。 その他、通信費に、車の維持費と、出ていくだけの経費がいかに多い事か。 また、大人になると、もれなく税金という厄介な支払い義務が発生する。 市県民税に始まり、年金、保険、介護保険などなど。 総計にすると、年間数百万円の金が出ていく勘定だ。 一説では、昭和30年以降に生まれた人達の年金は期待できそうも無いと言われている。 介護の現場にしても、到底老後を任せられない実情の施設が、どれほど多い事だろうか。。。 年齢を重ねるにつれ、不安が大きくなるのは、やはり、金の心配をするからだろう。 老後の事、働けなくなった時の事を考えると、空恐ろしい。 金は、何のかんの言っても、やっぱり必要だ。 でも、日本という国は、「金を稼ぐ」という事が、一種罪悪だと思っている節がある。 経済大国日本。GNP世界第二位の栄光はどこへやらである。 金持ちに対して、変な劣等感からか、それとも持たない者のひがみからか 嫌悪感さえ持ってしまう、普通の人々。 当然ながら、小生もその一人だった。 本音を言うと、金は欲しいと思っているのだが、、、 「赤貧」という言葉に、清らかさや美しさを感じつつ、現状に甘んじてきた。 でも、金は必要なのだ。 仮に、今、目の前に一生使い切れないほどの金があったとすれば 今の、この不安はどうなるだろう。 おそらく、不安というものは無くなっている事だろう。 人が働いて金を稼ぐというのは、一番の生活不安を解消する事に他ならない。 世の中、金が全てだ。などという気はさらさら無いが 金で解決出来ない問題は、あまり無いという事も事実だ。 貪欲に金、金、金と思っている人が、ハタから見て、どう見えるのか? 容易く想像はつくが、、、それを知る人が、目を背けているだけの事だ。 必要なものは、堂々と必要だ!と言いたい。 自分の人生を楽しむためにも、 口幅ったく言えば、周りの人を幸せにするためにも、、、 金が必要なのだ。 あとは、その必要な金をどうやって稼ぐかが、大きなポイントになる。 小生は、学校を卒業して、職を5回変わった。 人間関係のいやらしさに、我慢できない事もあったが 一番大きな理由は、自分の満足感が満たされて無かったからだ。 満足感とは、仕事の社会貢献度とか、顧客に対する会社の真摯な姿勢とか 自分が思うポリシーというか、アイデンティティの充足の事である。 言ってしまえば、単に我儘だっただけかもしれない。 だが、自分の売ってるものに、自信が無い!売らんがためにウソを言う! 利益のみを追求する。。。そんな会社の姿勢が、どうにも我慢ならなかった。 結局行き着いたのが、自営の道だった。 ここに辿り着くまで、それこそ紆余曲折の物語りがあった。 それでも、今現実に食えてる訳では無い。 ただ、これからの自分は、自分らしい姿で生きていけるだろうと思っている。 回り道した分だけ、考える事が多かった。 それは、経験として身に付いていると思う。(一人よがりかもしれないが・・・) 今は、不自由業の身の上であるが、本当の意味での、心の自由業に就ければと願うばかりだ。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年07月08日 10時11分44秒
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