4518 パルの思い出(2)
今朝のラウンジから見た風景(正面の山は標高2,530mの蓼科山です)また古い日記からの記事です。改めて書く必要がないほど、ぼくの(ぼくらの)気持ちを表現しているので、再掲載します。神様に関する記述部分はいまの僕の考えとはいささか異なるところがあるのだけれど・・・・・・★★★2004.02.19(木)----------- 晴 気温 = 最低 -8℃/ 最高 4℃この日記を書きはじめてから今日で2,662日目です。昨日よりさらに暖かな一日になりました。この日差しはまるで4月上旬並みです。気温も+4℃まで上がって、気温だけだと3月中旬なみといったところでした。しかし体感温度はまさに春そのものでした。寒いのが苦手なスキーヤーやファミリースキーには最適な天気ですが、寒くないとゲレンデに出たくなくなる僕には最悪のお天気です。ピラタスの森に野鳥の姿が見られるようになってきました。これは春の兆しです。景色はどこを見ても白銀の世界なのですが、日差しと野鳥や小動物の足跡が春が近いことを告げています。昨年秋に9歳になったシベリアンハスキーのパルはこの一年で急激に家族意識が芽生えたらしく、僕らを家族と見なしてじつによくなついて、頻繁にコミュニケーションを求めるようになりました。これまではいっしょにいるだけといったスタンスだったのですが、何が彼をそのように変えたのでしょうか。それだけではなく、昼は八ヶ岳上空の航路を往くジェット旅客機を眺め、夜は明るい月や星やそしておそらくは流れ星を眺めているのです。野鳥の声に耳を澄まし、風の感触を楽しみ、雪の冷たさを味わっているかのようです。それはまるで初めてこの世界の美しさ不思議さに気づいた知的生命体のようでもあります。彼は僕らにとってかけがえのない家族であり、この厳しい自然の中で生きる大切な友であり、この土地で初めて出会った同志です。僕らにはパルを「飼っている」という認識はありません。ともに暮らしているのです。彼はかけがえのないいのち、かけがえのない存在なのです。しかしこの幸福な関係もやがて終わるときが来ることを僕らは知っています。出会いとはそもそもそのようなものです。出会ったときから別れは約束されている、さよならだけが人生だ。それはこの宇宙に神が不在だからかも知れない。あるいは神は存在するのだけれどいのちには無関心だからかも知れない。ひとを悲しませないということには興味がないのだ、きっと。なぜならそれは神の仕事ではないからだ。神が人間を創造したのではなく、人間が神を創造したのだ。この世界に整合性をもたせるためには神という概念が必要だったから、人間はつじつま合わせのために神を作り上げた。だから、神はいなければならぬ、しかし神は不在だ。もしいたとしても我々の望む仕事をしていない、我々のために涙を流してはいない、我々のために戦ってなどいない。なぜならそれは神の仕事ではないからだ。僕は神を信じない。少なくとも宗教の語る神は信じない。真の神とは概念などではなく、唯一無二の超越的存在だから、それを語ることも指し示すこともかなわない。そのようなものだ。怒ったり泣いたり笑ったり罰を与えたり正義を行ったりすることはない。それはただそこにある。神は存在しない、反対に、絶対存在こそが神なのだ。たぶんね。---●ペンション・サンセット●蓼科高原日記☆たてしなラヂオ☆