6960 生きる意味と生きる価値との違い
生きる意味を問うことはそもそも問いの立て方を誤っている。われわれはそれに関与できないのだから。 ▲なにかを必死に希求する枝たち。ひとはこうした自然の風景に自分を重ねて見るものなのだろう。by CANON EOS 6D, EF70-300mm F4-5.6L IS USM (承前) 生きる意味と生きる価値 秋も終わり、蓼科高原、とりわけ北八ヶ岳中腹標高1,700mの当地では、すっかり冬になりました。 毎朝氷点下15℃近くまで冷え込み、最高気温も終日氷点下の過酷な12月。積雪はずんずん嵩を増して、年間で最も寒い1月下旬まで気温は下がり続けます。 そんな中、この森で越冬する野鳥たちは寒風の中、あるいは大雪の中を元気よく飛び回っています。野生のニホンジカやキツネやタヌキやリスたちもまた生きるために活動を続けているのを目にする機会が増えました。 しかしそう語る一方で、このいのちたちがどれほど過酷な生存競争の中で命をつないでいるかをわたしは知っています。 大空を飛翔する鳥たちは決して自由を謳歌しているわけではなく、森の小動物たちも天敵の脅威におびえながら、ひとときのいのちを生きているのです。 ぼくらだって同じです。 生きる意味を問うことはそもそも問いの立て方を誤っている。われわれはそれに関与できないのだから。 しかし、生きる価値に関してならばわれわれは問うことができる。われわれは積極的にそれに関与できるから。 ひとはなぜ生きるのだろう。ひとはなぜ死ぬのだろう。 われわれの知っているこの世界がそのようなものだから、としか言いようがない。 われわれはそれに従うほか無い。 >>つづく --- 茅野および蓼科高原全体の公式ホームページ:http://www.tateshinakougen.gr.jp/ 蓼科および奥蓼科の公式観光案内:http://tatesina.info/ --- 信州蓼科高原北八ヶ岳・標高1700mペンション・サンセットのホームページ:http://www.p-sunset.com/ Facebook Page:https://www.facebook.com/pension.sunset ★蓼科の写真をもっと見たい人はこちらにたくさんアップしてあります: http://www.flickr.com/photos/p-sunset/