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毎朝未明から禅僧の「作務(さむ)」のように写真を撮っている。淡々と続ける中でなにかがきっと見えてくるのだろう。そんなふうに思っている。 正確に表現するならば、なにかを期待しているわけでもないし、なにかのための努力というのでもない。 それを続ける中でなにか変わっていくのか、なにかが見えてくるのか、それともなにも変わらないかも知れないし、なにも起こらず、なにも見えないのかも知れない。 それはそれでまあいいのではないかと。 わたしが主に撮影しているのはなんでもないものたち、あるいはあたりまえのものとしての(と思っているだけでじつは奇跡としての)「日常」とでもいうべきものたち。 それはただそこにあって、まるであたりまえのようにそこにあって、少しも変わらないようでじつは刻一刻と変化し続けているものたち。 できることならば良き関係性の中で人を撮り続けたいと願っている自分を感じつつ、いまは身の回りの豊かな自然とただただ真剣に向き合っている。 ひたすら続けていれば、もしわたしにとってそのようなことが真に必要であるならば、いずれ人を撮り続ける日々がやって来るのかも知れない。 人生で起こる出来事に必然性のないものはない。必要のあることだけが起こり、必要のないことは起きない。そんなふうに感じる。 しあわせとはわたしがわたしであること。わたしがわたしでないということが一瞬たりともないこと。100パーセントのわたしであること。わたし以外のわたしではないこと、そのようであり続ける人生であること。 わたしがこのようにわたしであることを何人(なんぴと)にも否定されないこと。わたしがこのようにわたしであることが全的に肯定されること。個人の尊厳とはそのようなものだろう。 話がそれたが、わたしが写真を撮り続けるのはそのようなことに繋がっているからでもある。ひとたびカメラを手にすればそんな辛気くさい小理屈などどこかに吹っ飛んでしまうのだけど。 まあそんなことで今日も写真を撮ったし明日も撮り続ける。それはわたしの職業がなんであるとか、男性であるとか女性であるとか、社会的にどのようなポジションにいるのだとか、そんなこととはまったく関係がないのだ。 ただ撮りたいから撮る。それを通じて自分の視野が広がっていくことを実感するから撮る。写真が好きだから撮る。それ以上でもそれ以下でもない(趣味ですらない)とても個人的な行動であるような気がしている。 20180614-DSCF8232-2 FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS
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Last updated
2024.09.25 04:36:18
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