オリンピック雑感
オリンピックでの浅田真央さんの演技を見て鳥肌が立ちました。凄まじい気迫のこもった演技でした。 思うに彼女がオリンピックに勝つことだけを目標の全てとしていたなら、選曲、演技内容の難易度、コスチューム、指導者の選択など選択肢はもっと違っていたかもしれません。事実、キム・ヨナがそうであったように。 でも、彼女はサムライというか、修験者でしたね。相対比較や消去法といった戦術によって勝つのではなく、強い克己心と向上心を基に、前人未到の自分の究極の演技を完成させ、それを完璧に演じ、自分が納得した上で、周囲を納得させ、オリンピックでの頂点に立つという、ある意味、神に近い領域を目指していたように思います。修験者である真央さんの演技は聴衆や審判員に媚びるところがまったくない。良いものは必ず評価されてしかるべきという強い信念があるのだろう。実に崇高な考え方だと思うし、大衆迎合の報道の質を重んじていないマスコミごときが彼女を批評するのはチャンチャラおかしい話だ。 誰が何と言おうと、このおっさんにとっては実に潔く、あっぱれな姿に映りましたし、日本もまだまだ捨てたもんじゃないという気にさせてもらいました。真央さん、ありがとう。 そんな彼女を見ていて思ったことを少々。その1 昨年、事業仕分けとかいう見世物作業の場で、「2番じゃなぜダメなんですか?」と言って、歴代ノーベル賞受賞者のひんしゅくをかった某モデル上がりの代議士の先生はオリンピックのフィギュアの中継を見ていたのでしょうか? 一番を目指していた人が二番であったときの涙の重さと一番目指した努力があったからこそ、二番になれたという事実を。 そもそも、選挙で一番になれなかった人も比例復活という半ば裏技的な制度によって一番と対等の立場が保障される、一番でも二番であまり関係のない緩い世界にいるような方達に味噌も糞も一つに論じていただく必要はないかと個人的には思っています。その2 フィギュアスケートって、体操競技と同じく、以前は規定ってのやってませんでした?みんな同衣装、同一課題曲、同一演技要素でショートプログラムをやってはどうなのか?これなら、技術的にも表現的にも誰が一番優れてるのか一目瞭然ですよ。観客動員数や視聴率考えてやらないだろうけどね。 ただ、今回の男女フィギュアを見てて、全体の順位を眺めてみると採点競技の不透明感を感じたから思いつきでそう思っただけなんですけどね。その3 北米文化は私にはなじめそうもない。ハンケツズボンの日本人もひどい思ったが、神聖な会場で葉巻ふかしたり、シャンパンファイトするような輩にはあきれて口がふさがらない。プロでもグランドやコースでそんなことしねーよ。他にも競技運営の不手際も多いわ、いったいどうなってんの? 酔った勢いで言わせて貰うと、だいたい、スポーツに限らず、政治や経済、宗教、思想、信条まで自分達の独善的な価値観に従い、ルールを勝手に決めて、世界標準だと押し付ける。しかし、イラク問題やリーマンショックで自分達の足元に火が付き添うになると突然勝手にルールを変えてしまう。 つまり、世界中にサッカーのルールだよといって、参加させていたのに、勝てないとふんだらラグビーのルールに変えてしまうという、まったくイカサマ博打の胴元みたいなもんですね。 特に日本は目の敵にされがち。かって、ホンダがF1にターボエンジン引っさげてさっそうと登場し、圧勝した時のことが昨日のように思い出される。 スピードスケートやフィギュアもアジアが勝ちすぎると、スキーのジャンプ競技のように、きっと何か手を打ってきそうな気がするよね。 ワイン以外の実にとりとめのない内容で、失礼しました。