前回総選挙の結果をどう読み解くか
・連立与党も手放しで喜べない勝利・ 総選挙で自民党は261、公明党32がそれぞれ議席を獲得した。連立与党は293議席を獲得、改選前の305議席から12議席減らしたものの絶対安定多数を確保した。 自民党は甘利明幹事長をはじめ、ベテランと大物議員が選挙区で敗れたものの、全体としては勝利といっていいだろう。 このことは素直に「国民は岸田政権、あるいは自公政権を支持した」と評価すべきである。 これに対して、共産党との選挙協力を結んで「政権交代」を訴えた立民党は、改選前109議席から13議席減らし、96議席。共産党も12議席から2議席減らして10議席にとどまった。立民・共産の明らかに敗北である。これも率直に認めるべきだ。枝野幸男代表、福山哲郎幹事長(参院議員)コンビは、辞意を表明した。 ・風当たりが強かった自民党・ 総選挙では、逆風とまではいえないものの、与党に対する風当たりは決して弱くなかった。その理由はコロナ対策に対する不満である。最近になって感染者数が減少し、全国で緊急事態宣言が解除されたが、 それまでの政府・与党の対応が万全であったとはいえない。 また、自民党には約9年間続いた安倍晋三、菅義偉両政権に対する「飽き」や「不満」といった長期政権の「負の遺産」も根底にあった。 自民党は、選挙直前に総裁選挙で岸田政権を発足させたが、安倍政権を支えた幹部を主要ポストに登用するなど、両政権からの転換姿勢が明確でなかった。これによって岸田新政権への「ご祝儀」効果も限定的だった。 ようするに、有権者は自公政権に「お灸」をすえたがっていたのである。それにも関わらず与党自民党が勝利したのは、野党立民・共産党がこうした不満の受け皿にならなかったからだ。 その最大の理由は政策である。政権交代を実現した2009年の総選挙に比べると今回は明らかに練度不足であった。 魅力のあるアイデアもなかったし、実現への道筋や具体性もなかった。それに加えて、破壊活動防止法の調査対象団体である共産党との選挙協力に野党共闘に多くの国民が疑問と不安を抱いた。 一部の選挙区では成果があったのかもしれないが、全体としてはマイナスに作用した結果の立民・共産の敗北である。 一方、野党共闘に加わらなかった日本維新の会は、改選前11議席から大幅に議席を伸ばし41議席と躍進した。 また、国民民主党も8議席から3議席増やして11議席と健闘した。 野党共闘に加わった「れいわ新選組」は、比例代表で3議席を獲得した。これは、立民党が受けきれなかった不満層の票を吸収した形だ。しかし、465議席全体からみると限定的であり、「ブーム」というほどのものではなかったのではないか。 結局、「政権選択」を問われた有権者としては、自公政権しか選択のしようがなかったのである。そのなかには消極的選択として「仕方なく」与党候補者に投票した人もいたかもしれないが、それも含めて与党が支持されたのは事実である。この事実は野党もメディアも厳粛に受け止める必要がある。 ・与党連立与党側も手放しで勝利を喜べない理由・ ただし、今回は、僅差の票数で勝利した選挙区が少なくなかった。5,000票内外、なかには数100票単位での薄氷の勝利が相次いだ。ここまで票差が接近すると、世論調査的には「誤差の範囲内」である。どちらが勝っても不思議ではなかった。もし、立民党が競り勝っていれば一部メディアが報じたように「自民党単独過半数割れ」との事態も十分あり得たのである。この事実は重く受け止める必要があろう。岸田政権にとっては国民の信任を得たものの、発足直後で、具体的な実績を評価されたわけではない。 とりあえずは、岸田総理が示した方向性については支持を得られたものの、本当の評価は、次の国政選挙である来年7月の参院選に持ち越されたと考えるべきであろう。 一方、総選挙で野党第一党・立民党に下された審判の意味は重い。とりわけ共産党との協力関係をどう整理するかは最優先課題となった。また、野党共闘を仲介した、いわゆる市民団体「平和安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、その名の通り、「日米安保を強化するための安保法制廃止」といった主張は、共産党と同じ主張である。しかし、その主張は当然ながら大多数の国民から拒否された。 わが国を取り巻く安全保障環境からして、極めて非現実的である。現実的な外交、安全保障政策を示せなくては、政権交代の受け皿になりようがない。・深刻化する小選挙区比例代表並立制の弊害と矛盾・ それにしても、先の衆院選挙を取材して、小選挙区制比例代表並立制を中心とする選挙制度の矛盾がますます深刻化していることを痛感せざるを得ない。 小選挙区制を中心とする現在の選挙制度が初めて施行されたのは平成8年(1996年)。今年で25年、ちょうど四半世紀が経過したことになる。 導入当初からこの選挙制度には疑問を感じてきたが、あらためてその問題点を考えてみたい。中選挙区制から現在の選挙制度を導入した理由は、第一に「政権交代可能な選挙制度による緊張感ある政治を実現」、第二に「活発な政策論争が行われる選挙の実現」、第三に「候補者中心から政党中心の選挙への転換」の三点だった。 しかし、現状はその三点のすべてが意図した方向と違う結果となり、弊害を引き起こしている。まず、第一の「政権交代可能な選挙制度による緊張感ある政治の実現」は、選挙制度改革の大眼目であった。そのために、民意の変化を敏感に議席に反映する小選挙区中心の選挙制度にしたのである。「各党が切磋琢磨して政権を競い合い、その緊張感が政治を活性化させる」との効果を期待してのことであった。しかし、現実はどうか。立民党はとても政権交代の受け皿とはいえない。 こうしたなか「政権を選べ」といわれても有権者は、選択の余地がない。実際、民主党政権崩壊後、今回も含めて四回の選挙で有権者は、自公政権を選ぶしかなかった。この間、有権者は自公政権に満足していたわけではなかった。「お灸」をすえたい気持ちもあったかもしれない。しかし、政権選択を問われれば立民党(民主党⇒民進党⇒希望の党(一部?)⇒立憲民主党)に投票するわけにはいかなかったのである。・中選挙区は「お灸」据えやすい制度・ その点、中選挙区制はお灸を据えやすい。トップ当選だった候補者を最下位当選にするだけでも、反省を促すことにつながる。ところが、小選挙区制は1票でも多ければ「勝ちは勝ち」である。得票数が多少減ったとしても議席差が圧倒的で、「お灸」を据えられたと自覚しにくく、緊張感のない政治を招きやすいのである。 また、小選挙区制中心の選挙制度は有権者に政権選択を迫る性質を持つ。さらに言えば、政権選択を「させられてしまう」制度ともいえる。有権者が少し「お灸」を据えたいと思っても、さじ加減を間違えれば「意図せざる政権交代」につながりかねない。 小選挙区制の下での「お灸」は、劇薬となるである。政権交代可能な政党が存在しないなかでの現在の選挙制度は、有権者の側からみてもまことに使い勝手の悪い制度なのである。 第ニの「活発な政策論争が行われる選挙の実現」は、同じ政党の候補者間による「同士討ち」がなくなれば、「人」ではなく各党の「政策」が選挙の争点に浮上するはず、との理由によるものだった。しかし、これは幻想であった。 政策論争が成り立つためには、与野党の共通基盤が必要で、小選挙区制にしただけでは実現しない。25年前、当時のソ連の崩壊によって東西冷戦が終わり、イデオロギー対立がなくなるとの前提でこのような主張が行われた。 だが、自衛隊や日米安保を憲法違反と主張する政党(共産党や旧社会党)は、当時も存在し、現在もなお、イデオロギー的な隔たりが存在している。 こうした環境では政策中心の選挙は実現しない。今回の選挙でも、問われたのは政策ではなく「共産党と手を組み、皇室と天皇や自衛隊を否定する政権でよいのか」という、「体制選択」論であった。コロナ対策やコロナ後の経済運営、対米・対中外交など論ずべき論点は山積していたものの、その具体策について、一方的な主張はあっても、与野党の論争はほとんど行われなかったといっていい。 政策論争という点では、むしろ中選挙区時代の方が活発だった。自民党の候補者どうしでも微妙に力点の置き方が違った。 また、野党も社会党と民社党は全く主張が違っていた。有権者の選択の余地は広かったのである。有権者は候補者の演説を注意深く聞き、自分の意見に最も近い候補者に一票を投ずることができた。 一方、候補者も有権者の反応によって、訴え方を変化させていった。それによって選挙戦のなかでも議論が深まっていったのである。明らかに小選挙区制は中選挙区制に劣っているといわざるをえない。 第三の「候補者中心から政党中心の選挙への転換」は、有名無実と化している。実際に行われているのは、中選挙区時代と同様の候補者中心の選挙である。候補者が支持者を集め、実際の選挙運動も候補者が行っている。 政党はあくまで側面支援にとどまる。なぜかといえば、政党の力が弱いからである。政界再編がたびたび行われ、政党ができたり消滅したりしている。こうしたなかで選挙の主体となる政党が育たないのは当然だ。政治家自身も政党を信用していないこともある。 党内の意思決定の不透明さも指摘されている。これでは「政党中心の選挙」が成立するはずがない。今回の選挙でも様々な政党を渡り歩き、所属政党ではなく、個人として支持を集め、当選したケースもあった。有権者もそれを承知のうえで地域の代表として選択している。 一方、形ばかりとはいえ「政党中心の選挙」という建前は、政治家と有権者の関係を疎遠にする方向に作用している。例えば、小選挙区制では党首の人気によって地元の支援者が少なくても当選できるような状況が生まれやすい。「〇〇〇チルドレン」といわれる議員がその象徴だ。 また、中選挙区時代では、所属する政党の公約と異なるようなことも、候補者個人として訴えることもできたが、小選挙制では、そうした余地は小さい。 「中選挙区制の政治家は個人商店なので、自ら商品(政策)を開発することができるが、小選挙区制の政治家は本社(党本部)が決めた商品(政策)を説明、販売する代理店にすぎない」と例えられることがある。小選挙区の政治家は地域の要望にストレートに対応できないのである。 さらに、有権者にとって、選挙直前になって、その地域に全くなじみのない候補者が自分の支持する政党から擁立されることもしばしば行われる。いくら支持政党の候補者であっても、全く知らない候補者には投票しにくい。 また、突然の引退声明によって二世に候補者が切り替わったりすることもある。選挙区の有権者とは関係のないところで候補者が選定されているからである。 しかし、中選挙区時代は違った。二世議員であれ、地元出身者であれ、落下傘候補であれ、どんな経歴の候補者であっても選挙前から一定の地盤培養の活動を行い、それを評価する形で公認決定が行われていた。地元で全く知られていない候補者は、そもそも公認候補の選定対象にならなかったのである。なぜ、「政党中心の選挙」を目指したのかといえば、政党が選挙することによって候補者個人としての政治資金は必要なくなり、無理な政治資金集めは必要なくなる、という論理であった。 しかし、実態は前述の通りである。選挙の面倒を100%見ている政党は、ほとんど存在しない。したがって、政治家が活動資金の確保に多大な労力を使わざるを得ない状況は中選挙区時代と何ら変わっていないのである。 このほかにも、小選挙区中心の選挙制度がたらす弊害は枚挙にいとまがない。有権者の誰もが「首をかしげる」のが、小選挙区比例代表並立制の矛盾である。 小選挙区候補者が比例区にも重複立候補できる並立制は、小選挙区で落選した候補者が所属政党候補の惜敗率で復活できるからである。小選挙区で有権者から「ノー」と拒否された落選した候補者が比例区で復活ということは、小選挙区の有権者の意思表示を無視しているのである。本来、平等であるはずの小選挙区の重き一票が結果的に「死に票」になり、メディアが言うところのいわゆる「ゾンビ議員」を誕生させている。 その原因は当時の選挙制度改革論者であり、二大政党論者による社会党、公明党、民社党(いじれも当時)、共産党など野党の中小政党への中途半端な「思いやり」あるいは中途半端な「甘いヒューニズム」によるものである。 具体的には小選挙区比例代表並立制とセットで論議された政党助成金(政党交付金)である。国庫(税金)から年間約300億円が議席数に応じて各党に配分されている。唯一、共産党は政党助成金の受け取りを拒否している。 こうした小選挙区比例代表並立制の矛盾は、当初から与野党の有志議員から指摘されていた。価値観が多様化な時代に「A党かB党に投票せよ」というのは、有権者の選択肢を限定するという矛盾がある。そうした批判を躱(かわ)すために中小政党に配慮するというのは論理矛盾である。良し悪しは別として、そもそも二大政党による「政権交代可能な選挙制度」というのであれば、純粋あるいは単純な小選挙区制を選択すべきあった。 この制度の建前と現実があまりにかけ離れており、そのはざまで政治家や政党が苦肉の策に走らざるを得ないからである。 それが政党や政治家の劣化を招き、結果として政治不信を招いている。もう限界である。早急に、元の中選挙区制に戻した方がよい。 今回の選挙戦を通じ、そのような思いを強くした。同時に国庫(税金)から拠出される政党助成金は廃止すべきである。