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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:トルコで住む!
今年を振り返るにはまだちと早いのですが、「結婚」「不動産購入(まだタプ出てないけど・・・)」と、
世間一般的に考えると、「人生の一大事(二大事?)」イヤー(嫌?)でございました。 しかしワタクシ的には、取り立ててどーの、という感情もなく・・・ ・・・それよりも・・・ 先日25日、ジャジャーン!! 「トルコ生活10周年」を迎えてしまったのでした・・・ これはねぇ・・・かなり感慨深いです・・・(っていうか、衝撃的ショックです・・・) 10周年といっても、途中2年ばかり日本におりましたので、ホントは違うんですけど、 生活者として住み始めてから(=トルコ警察から在留許可をもらってから)ちょうど10年目。 ワタクシが10年前、一番最初に住んだ街はアンカラなのですが、今でもあの アンカラ・エセンボア空港に降り立った日のことをよーく覚えております・・・ それはそれは心細くて、スキー場のようにキンキンにさむーい夜でした・・・ トルコ航空でイスタンブルで夜中乗り継ぎ。その頃のイスタンブル空港は今の 国内線ターミナルの、あのボロっちいヤツで、灯りもエライ薄暗く、ここは共産圏??? みたいな錯覚に・・・ おまけにその当時アンカラまで行く日本人はとても少なく、ワタクシと主婦らしき オバサマの二人だけ。 そのオバサマ、すごい手荷物で、まるで常磐線急行列車に乗ってる行商の おばちゃんみたいなイデタチ。 そのオバサマはJICA専門家さんに帯同されているトルコ在住ベテラン奥様で、 「アンカラは日本の食材とか、なーんにもないのよー。だからこうやって日本に帰ったら 持ってこれるだけ持ってこないと、すぐ日本食、尽きちゃうのよ」 うわー!さすが家庭を預かる主婦は違うわー!!と感心しきり。 他にもオバサマはお嬢さんの文房具(「トルコは特にノートの質が悪いのよー!」)も 持ち込まれ、ワタクシに「アンカラ・ライフ・初心者の心得」を伝授してくださったのでした。 その心得とは: 「水は石灰分が多いので、買って飲むこと」 「洗濯するときは洗剤のほかに石灰中和剤も混ぜること」 「ウルス方面は治安が悪いのでひとりで行ってはいけない」 「日本人駐在員は盆地(注:アンカラ市街は盆地になってます)の 南の上の方・チャンカヤに沢山住んでいるが、留学生はそのちょっと下・ アイランジュのあたりに多く住んでいる」 「日本人のよく使う病院はバユンドゥルとセヴギ」 「郵便事情はメチャクチャ悪いのであてにしてはいけない」 「コジャテペジャーミーの下のスーパーは品揃えがよいが、お酒はないわよ」 そんな話をしている間に飛行機はアンカラに到着。 首都アンカラの空港も、ここは・・・?????ってなくらいにお粗末。 外に出たら寒い風がヴォー。 おまけに街まで行くタクシー・・・いない・・・(号泣) そのときオバサマを迎えに来ていた専門家さんが、 「街まで乗せていってあげるから、いらっしゃい」 感涙にむせぶワタクシ。 市街地に入り、とりあえずクズライの中級ホテルに落としてくださいとお願い。 「ひとりで大丈夫?でもアンカラは治安がいいからそんなに心配しなくて大丈夫よ。 なにかあったら連絡してね。学校、頑張ってね!」 ←電話番号のメモをくださるオバサマ しきりにお礼を述べた後、ミタトパシャ通り沿いの中級ホテルに。 夜中の日本人女飛び込み客に驚いてはいたけれど、快く一番暖房のよく効いた 部屋を提供してくれたおじさん。 その晩緊張が解けたのと疲れがドッと出たのとで、熱を出して身体が動かない。 翌朝朝食に降りてこないワタクシが気になったのか、ホテルの支配人らしきおじさんが 様子を見に来てくれ、スープとパンを差し入れてくれたのです。 トルコ語のまだよくわからないワタクシに「食べろ、食べろ」と仕草をしてくれるおじさん。 このとき食べたエゾゲリンとエキメッキのエライ美味しかったこと・・・ 身も心も弱まってるときに人の優しさに感動・・・ ああ。気持ちの優しいひとたちがいっぱいの国なんだ・・・ この国ならきっと1人でも頑張れるような気がする!!! 弱音を吐かずに、頑張るぞ!!! ↑今思えばこれがいけなかったんだね・・・甘かったわ、ワタクシ・・・ あれから10年です・・・ トルコもワタクシも大きく変わりました・・・(良くも悪くも・・・) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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