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発信できるものを手に入れたのは、20年以上経つでしょうか?
インターネット以前では、個人的な意見を広く伝えるという場は、新聞の投書欄?それくらいでしたかね。 こうして,ブログを通じて、だれが読んでいるかもわからない記事を書いていますが、多くの人に見られているとは思いません。 それでも、「発信」できるという道具を手に入れました。 ブログを書き始めたのは、開業当初の15年以上前。 ホームページメーカーというソフトを利用すれば、簡単に広告宣伝として、ホームページが作成できると思っていたけど、まるで技術や知識がない人間にはかなりハードルが高い、と気づくのに、さほど時間はかからず。。。 そんな何もわかっていない人間でも、発信できる道具がブログだと知り、書き始めた。 長期間、放置していた時期もありましたが、ここ数か月前から気が向いたときに、書きたいことがあるときに、書いてみよう!とゆるゆるのスタンスです。 今では、ブログも一時の流行から廃れ、記事を書いている人も多くはなく、もっと手軽なSNS、フェイスブックやツイッター、インスタなど席捲され、もっと伝わる、視覚的にも伝わる道具として、YouTube等の動画の配信も、我々の手元にある。 動画の配信などしたことはない。20年以上前は専用機材が必要だったから、個人で映像を発信できる人は限られていた。だけど、今やスマホだけで完結するようだ。 要するに、手軽に世界中に発信できるようになったわけだけど、それにしても、リテラシーが…と思ってしまうことが多いこと。 駅のホームから財布を落として、駅員さんの注意も聞かずに非常停止ボタンを押して山手線を止めたうえ、SNSにその動画を投稿した輩。 非難されるのはもっともだと思うけど、それ以上に、こうして手軽に発信できることで、主義、主張、権利に対する意識が強くなりすぎていることを懸念しています。 「手軽に」投稿できる、不特定多数の方に向けて発信できる、それはある意味、「力」ではあるけど、それをはき違えたらいけない。 「力」は正しく使わないと、人を苦しめたり、逆に発信した本人を窮地に貶めるものだと思うのだ。 手軽に、簡単にできるものこそ、十分な注意が必要だったりすることもある。 「表現の自由」と「権利」ばかりを主張するのではなく、その裏返しに発信したことに対する「義務」も伴ってくる。 と、こんな偉そうなことを書き連ね、「果たしてお前は大丈夫か!!」と自戒する…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.11 20:39:10
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