野村萬斎xメディアアーティスト
野村萬斎さんは、「ややこしや~」だけじゃないんですシェイクスピアも演じるし、ゴジラも演じる本業は狂言だとわかってますよ、もちろんでも、野村萬斎さんが演じた中で、一番好きなのは「映画・陰陽師」ですラストシーンで、スクリーン大映しで舞う萬斎さんが見られたのはいい思い出その萬斎さんとPerfumeの演出をする真鍋さんがコラボをした舞台裏ということで期待して見てみたんですが、わかっていたけど、真鍋さんの作る映像は、無機質なんですねうねる水滴みたいな球体の群れ、竜骨みたいなうねる物体、放射状に飛ぶ角棒、特に、花吹雪みたいに萬斎さんの動きに合わせて動いている点の中から、突然現れ、放射状に広がって、伸びていく角棒ごめんなさい、私にはよくわからなかったむしろ背景が気になって、萬斎さんの「三番叟」に集中できなかった生で見たら違うのかな……考えるんじゃない、感じるんだと言われるだろうけれど、感じたのは「?」萬斎さん言うところの「内なる宇宙」の表現だからって、宇宙空間そのものを描くのではないとわかっているけど「内なる宇宙」って何だろう?まぁ、萬斎さんがこれでOKと言ったんだから、「内なる宇宙」が表現されていたんでしょうね芸術家の顧客さんから、以前言われた「見た人に何かを感じさせることが芸術」との言葉が正解なら、私が「?」と感じたことで「芸術」として成立しているわけですし逆にこの番組を見たことで、型が決まっていても、同じ演目、同じシーンであっても、野村万作さんと萬斎さんの違いは歴然としていたので、狂言には、歌舞伎や演劇のような背景や大道具は必要ないんだとわかりました形が決まっているだけに、人間の体の動きの間やわずかな体の角度、表情だけで風を感じたり、広大な空間を感じたりできるし、荘厳さや軽妙さなどなど、観客に様々なメッセージを伝えることができるから、伝えたいメッセージを可視化することは、逆にメッセージを限定してしまう気がしますつーか、見た人が何を思おうと、見た人の自由なんだよ!作者が解説する芸術は、芸術じゃない! とも思う私ですそれより、万作さん、萬斎さん、祐基くんと三世代の「三番叟」ができて曲も型も全部決まっているのだから、画面を三分割して、三世代の「三番叟」を同時に見せてほしいな~