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カテゴリ:雑事
この数か月、お葬式が相次いでいます
以前、一緒に仕事をした人だったり、 同じ職場で、他部署の上司だったり、 長年会っていない友達の親だったり、 遠縁の親戚だったり、 私との関係もさまざまなら 亡くなった理由もさまざま、亡くなり方もさまざま 「もうすぐご飯よ」と声をかけたときには生きていたのに 「ご飯ができたよ」と言いに行ったら死んでいたとか 腰が痛くて病院に行ったら、末期がんの骨転移で 精密検査の最中に脳出血で……とか 本人も家族も、思ってもいないタイミングでのお別れもあり がんで何度も再発&手術を繰り返し、 家族も本人も「いつかその日が来る」と覚悟を続けた末のお別れもあり、 生きるために必死に闘病を続け、最後の最後まで諦めなかった末のお別れもあり、 命に軽重はないけれど、 自分の子供を育て上げ、孫の結婚式に出て、曾孫も生まれたなんていう 充分に生きてきたご高齢の人のお葬式はまだいい お葬式でも「向こうで友達が待ちくたびれてるわ」「あっちで同窓会やね」なんて言えるから 来月、娘の結婚式だったとか、 もうすぐ子供が生まれるとか、 今月末で定年退職だから来月夫婦で旅行をする予定だったとか、 希望がもうすぐそこまで来ているのに、強制終了になってしまったお葬式は ひたすら重く、悲しく、辛い 永遠に生きることはできないとわかっているけれど、 命の終わりを神様が決めているなら、 どうして「今」だったのか あと数か月、あと数年、先延ばしにできなかったのか 「今」終わらせることにどんな目的があったのか どんな罪があったから、「今」終わらせなければならなかったのか 目の前に神様がいたら、胸倉掴んで、問い質したい でも、私の頭の中にいる神は 立川でまだバカンスを楽しんでいるロン毛なものだから、 おろおろして頓珍漢なことを言うばかりで、納得できる答えは返ってこないし、 その隣にいるパンチは浮世離れした悟りを語って、これまた役に立たない 死ぬときに「まぁまぁいい人生だったな」と言うために生きるんだ と、以前のボスが言っていましたが、 死ぬときにそう思える人生を生きているか……と自分に問いかけると、 全然、そんな生き方してない 心残りがいくつもある 主なホテルのアフタヌーンティ制覇もしたいし、 世界各地の有名な庭園にも行きたいし、 ミッチーがライブをする限りは参加したいし、 少なくとも、頭の中にある妄想をどうにかしないと、死んでも死にきれない 結局、煩悩のために生きてるんだ、私は お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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