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カテゴリ:ちょっとしたこと
s49.5.11
子供には子供なりの人格があるとよく言われますが、一年保育園へ通ってから 随分大人っぽいとゆうか、自分自身とゆうものを持てるようになったと思います。 先日、私の実家へ行ってきましたが、その帰りの都合で、すし詰めの汽車に乗りました。 大人一人入るのにやっとのくらいの混みようでしたが、○○○は、(○には、私の名前が入ります)荷物の上にちょこんと座って、それはおりこうしているのです。そしてホームから改札口まで、随分長いのですが、真っ暗になった砂利道を荷物を手伝い歌をうたって、歩いてくれました。 心淋しいような私の心を力つけるような本当にしっかりしたわが子の成長に驚きました。 私の、年少クラスの保育園時の先生と母との「れんらくちょう」が出てきました。 そのまま書き込んでみました。 これを読んで、昨日のことのように、思い出しました。 母の実家は、下呂市で、当時は電車ではなく「汽車」。。(ついでに、電話も交換士を通さないとかかりませんでした) 母の実家、下呂市から乗り、金山町で下車するのですが、当時(35年ほど前)の金山町の駅は、改札口までが遠く、舗装もされていませんでした。。 母は、私と弟の手を引き、荷物を持って、とても疲れた顔をしていたので、思わず「私がしっかりしないと!!」と思った記憶があります。 年少さんの5月ですから、まだ3歳9ヶ月の頃です。。。 (一年保育園に通った。。とゆうのは、2歳から入園したので・・) s49.5.15 昨日の朝、登園前、スカートをはく、はかないで○○○の顔に思わず、手がでしまいました。 わーっと、泣いているのをそのままにして、仕事にかかり、いつ保育園に行ったのか知らないくらいでしたが、あとから自分を反省して、感情に走りすぎていたと思いました。 少し早めに迎えに行き、帰ってきたら、思いっきり抱きしめてやりました。 ○○○は、朝のことは忘れていたようですが・・・ これも、覚えてる。。。 母には、よく叩かれて・・・ でも、母はこのとき、23歳。 自営の仕事が大変で、ゆうことをきかない私に思わず手が出たのでしょうね・・・ 今になって、母も紆余曲折しながら、子育てしていたんだな。。。ってわかります。 少し、恥ずかしい内容ですが、私、母になって、この「れんらくちょう」に出会って、ようやく、母に対する思いが、「勘違い」だったと気づきました。 「叩かれた」ことしか、思い出せなくて、ずっと母を、もしかしたら心のどこかで、許せなく思っていたんです。。。 でも、母は、深い愛情で一生懸命、私を育ててくれたんだ。 私は、大事に思われ、深い愛情を持った母によって、育ったんだ。 って・・・ そう、私が、優を思うのと同じように・・・・ なぜ、そう思うことが今までできなかったんだろう。 叩かれたことしか、思い出せなかったんだろう。 一年早く、保育園に入って、ずっと子供ながらに「私が我がままを言ってはいけないんだ」 とガマンしていたから、このガマンは「母のせいだ」と思っていたのかもしれません。 今更だけど、「お母さん、ありがとう 私と優の関係も、時間が経つにつれて変化していくことだろうから、こうゆう形に残るものがあったほうがいいのかな。。。? 35年近く前の小さなノート 私の宝物です ps 今現在、食べ物を十分に与えられていない子供たち。 ママに抱きしめてもらえない子供たち。 痛い思いをしている子供たち。 どうか、そのママ&パパたちに、暖かいハートを 世の中の、子供たちみんなが、お腹をすかせることなく、暖かい布団で安心して眠れますように。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.03 23:46:05
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