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1986年に封切りとなった映画「スタンド・バイ・ミー」。ステーヴン・キングの自伝的小説を映画化したものでした。
オレゴンの片田舎を舞台に数日間の冒険旅行に出かける12才の4人の少年が、さまざまな出来事に遭遇しその経験を経てそれぞれが成長していく姿を、少年時代の切なくさわやかな思い出として描いたノスタルジックな映画でした。 何度観たことでしょう。 1961年に大ヒットしたベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」がサントラとして使われ映画の封切りとともにリバイバルヒットすることにもなりました。 友情と訣別・大人になる事への憧憬・純粋さを失うことで自立していく切なさ。誰もが青春の一時期に一つや二つ心の奥にしまい込んだことのあるひそかな想いが、その音楽にのって感傷的に蘇ってくるような気がいつもしています。 その後もこの映画は支持されます。それは4人の主人公の一人を演じた「リバー・フェニックス」が夭折したことがその要因の一つとなっているのかも知れません。 この映画で抜擢された後、「旅立ちの時(1988)」でアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされ、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦(1989)」では若きインディを演じました。 「マイ・プライベート・アイダホ(1991)」でまだ若かったキアヌ・リーブスと競演して、その年のベネチア映画祭の最優秀男優賞を獲得します。 重く切ない映画でしたがロードムービーの傑作だったと私は確信しています。キアヌ・リーブス演じる青年に密かに想いを寄せる孤独で屈折した青年を演じたその評価は、いまでも俳優仲間の語り草になっていると聞いたことがあります。 そして1993年、コカインとモルヒネの大量摂取により僅か23才で夭折します。 1970年8月3日は朝からそぼ降る小雨でした。 19才になった高校最後の夏、私は友人とたった二人で自転車にテントと寝袋を積載して、小雨の中を3週間の北海道一周の冒険に向けてペダルを踏み出しました。 あれが私にとっての「スタンド・バイ・ミー」だったと今でも強く思っています。 本州最北端の大間までが一日目。次の日フェリーで函館に渡り、長万部、小樽、札幌、旭川、網走、釧路、帯広、室蘭とほぼ全道を走り抜けたのです。 所持金は僅かです。ときたまの贅沢はラーメンに大盛りのごはんです。さまざまな困難と感動の連続でした。 日暮れて「札幌」入りした日は大雨でテントが張れません。止む無く円山公園近くの連れ込み宿の女主人に事情を話して宿泊させてもらいました。何故かただ同然だったような気がします。 やはりテントが張れず濡れた衣服のまま一夜を過ごそうとした「岩見沢」では、構内から締め出され軒下のベンチで寝ました。始発の汽笛で目覚めた時は衣服はすっかりと乾いていたのを覚えています。 「美幌峠」では石だらけのトレイルにパンクが修理不能に陥りました。下りも二人して延々と歩きました。とっぷりと日が暮れて闇夜の中、初めて人家の灯りを見つけた時は、鼻の奥がツンとしてしょうがありませんでした。 「襟裳岬」では地元の高校生のグループのキャンプファイヤーに招待されました。あの時のじゃがバターの暖かさの感覚は今も手の平に感じられる気がします。 そして遂に明日はいよいよ内地に戻る前日、二人とも段々と寡黙になっていったのを覚えています。 今思えば、最後の握手をして別れたあの時から、二人は別々の道を歩み始めたのかも知れません。 あれほどの苦楽を3週間も共にして、しかもただただ楽しかった時間を共有していたはずなのに、その後の友人と私の間には音信不通になってからの20数年という歳月だけが横たわっているだけです。 大人になることの代償は多くのことを失うということのようです。 その後、様々な邂逅と別離を繰り返し、私は今ここにいます。 人生の黄昏の時期は間近です。純粋とは言えないまでも、もう一度「スタンド・バイ・ミー」 をこの年でやり直してみたい気がしています。 あの時失った光と影を、いま燦燦と感じてみたいと強く思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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