8月22日
午後4時45分
祖母が
106年の長きにわたった
人生を終えました
明治32年10月9日に生を受け
明治、大正、昭和、平成と
動乱の時代を生き抜き
また
夫を早くに亡くして
6人の義理の子供達と
3人のわが子を
立派に育て上げ
人の何倍も苦労してきた祖母
最期は
私と母に看取られ
旅立ちました
本当に
大往生と言う言葉しか言いようの無い
眠るような最期でした
お昼前に自宅に到着し
祖母に声をかけたときには
うなづいたり寝返りを打っていた祖母
ヘルパーさんが来てくれるから
一旦本宅に戻り食事を済ませ
2時半に祖母の元へ行きました
母とオムツを交換して
2~3日前から拒否をしていたのに
お水を2さじ飲んでくれ
寝返りをしたり
手を上のほうに伸ばしたりしていました
しばらくして
口で呼吸をするようになり
「おばあちゃん
しんどいん?
水飲むな?」
と聞いても反応しなくなりました
しばらく見ていたんですが
手首で脈が測れないし
手の爪も色が変わってきたので
母を呼び
出かけていた父に連絡して
用が終わったら
すぐに帰ってきてくれるように伝え
念のため
母が主治医に連絡してました
その電話の間に
祖母の呼吸が少なくなりました
「おばあちゃん
息せんといかんで」
電話を切った母がすぐに主治医に連絡し
私も父に連絡しました
「お父さん
もう、おばあちゃんが...いかんかも...」
電話を切って
母と何度も何度も呼びかけましたが
数度息をして
最期に大きな息をついて
呼吸が止まりました
一番近い親戚に連絡し
すぐに来てくれました
先生も
診察中にも拘らず
すぐに来てくれました
先生が
心音と血圧と血中酸素濃度とを
測ってくれ
瞳孔反射を見てくれましたが
反応はありませんでした
「お疲れ様でした
本当に大往生という言葉しかありません
息子さん夫婦に
ほんまにあれだけよう介護してもらって
おばあちゃんは本当に幸せやと思います
なかなか出来ん事です
今時、自宅で死ねるなんて
しかも針の一本も体に刺さず
看取る事ができるなんてないですよ
本当に幸せな最期でしたね」
おばあちゃんが寝込んで
ずっと往診に来てくれた先生に
そう言ってもらって
母は
本当に嬉しかったと思います
しばらくして父が戻りましたが
それまでずっと先生は待ってくれていました
父にもねぎらいの言葉をかけていただき
看護婦さんが死後の処置をしてくれました
寝込んで
固形物が食べれなくなり
外していた入れ歯を入れると
少しは痩せているものの
もとのおばあちゃんの顔に戻りました
本当に
しんどいという言葉を
一度も言わず
ほっとしたような
笑っているような
顔をしていました