テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:アーティストの一歩一歩
あなたはなぜ絵を描くのですか?と言われたら、いったいなんと答えるのでしょう。
やっぱりゆみはまず、「好きだから」「楽しいから。」って答えると思うんです。 例えば、絵によって自分を表現できるから、とか、絵で何かを訴えたいから、 と、普通プロのアーティストさんは答えるかもしれないですよね。 そして本当は絵というものは、何かが訴えたくて、描くモノなのかもしれません。 話は大きくなりますが、岡本太郎さんが描いた原爆の絵画が、どこに展示するかで 議論しながらとうとう渋谷駅に展示されました。 一番多くの人の目にさらされるからだそうです。 ゆみはあの巨大絵画の下をよく通りますが、素通りすることなく毎回絵を見上げます。 そして毎回、なんてこの絵は人に訴えるのだろうと思うんです。 絵の受け止め方は人それぞれですが、ゆみはあの絵を見ると、ぎゅっと胸が痛くなります。 なんて原爆は理不尽で悲しいのだろうと思います。まさしく「破壊」が描かれていると 感じます。あの一瞬で、何もかもが砕け散っってしまった悲惨さを、あの絵は、 強く見る人の心に訴えます。 岡本太郎さんはやっぱり天才だったんだと確信する絵です。 ゆみは個人的に、目をそらしたくなってしまうから、写真も撮りませんけど、 いつも誰かがカメラを構えて立ち止まっています。 見たくないけど、見なくちゃいけない、忘れたいけど、忘れちゃいけない、 その現実を、あの絵は、100%以上の力で人に訴えてると思います。 だから、あの絵が、若者の街渋谷に展示されたことは、必要なことだったと ゆみは思います。 あそこまでの迫力はめったにないとしても、絵というものは、作者が何かの思いを 表現するものだ、とゆみは思っていました。 だから訴えたいことがない人は、あまり絵は描けない。 アーティストにはなれない、とも思ってかもしれません。 でも自分は・・・そんなんじゃないなあと思うことがありました。 何かを訴えたいとか表現したい、というのではなく、 ゆみは絵を描いているときに、その行為そのものが楽しくなってくるのを感じます。 もっと言うと、筆を動かし、色をつけたりすること自体が楽しい作業だと 思いながら描いてます。 苦心して必死で描くのではなく、ただ単に楽しいから描く・・・ それはいけないことなんでしょうか? 以前に「想い・・・DEAREST」という作品を描いた時は、 とにかく桜の下の10年間の最愛の者たちの成長を、一枚の画面に残したかったのですが、 回りに桜をちりばめて、一つ一つ違う表情で塗っていくときに、 実はその作業の一つ一つが楽しくなってきて、 ランニングハイならぬ、ペインティングハイな状態になるのです。 その状態に突入できればそれが、いい絵になっていく合図みたいなものです。 アクリル絵の具だろうが、陶器絵付けの粉であろうが、透明水彩絵の具であろうが、 ペイントしていく、手先を動かすこと自体が、ゆみは好きみたいなんです。 そういう絵の描き方だから、「誰かに何かを感じてもらおう」として描いてるんじゃないので、 それは、お絵かきの趣味のレベルで、けっしてアーティストさんじゃないと 思っていました。 ところが描いた絵を、教室展覧会などで、発表する時、いつも見る人が、 「優しいのね。」とか、「癒される」とか「ずっと見ていたい。」とか言ってくださり、 「お金を出して買い取りたい。」「うちの玄関に飾ったら、きっと帰ってきたときホッとする。」 と、購入を申し出てくださるので、最初は戸惑いました。 いろんな人がいるものだ、と半信半疑でしたが、2006年4月、 地元の市のお祭りの時、公民館に出した絵に、いきなり、 「この絵を描いたのはどなたですか?」と、 声がかかりました。 「私ですけど。」と答えると、「ああ、あなたか。この絵のイメージとぴったりだね。」 「あなたは六本木にできる国立の美術館の展覧会で、この絵でデビューしなさい。」と、 狐につままれたようなお話をいただきました。 そのときは、国立新美術館は、まだ建ってもいませんでした。 でも、2008年1月。 それは、現実のお話になりました。 いよいよ、本当にそれが「公募展」であり、審査員の先生二人以上の推薦で合格した、 とわかった時に、「まさかこんなことになるなんて、思ってなかった。」と、 ゆみが言ったら、「それだからこの絵は、無欲でいいんだよ。」と 男の先生はおっしゃいました。 「もしよければ、他にもこれから描いてもいいのよ。」と、女の先生がおっしゃった時、 またゆみが何気なく、「公募展に出す、と思って描いてもいい絵は描けないと思うから もういいです。」と答えたら、「あら、ちゃんとこの方はわかっているのね。」 と言われました。 結局、家に審査に来ていただいたので、これまでに描いた他の絵もお見せしていたら、 4点が審査に通ってしまいましたが。 で、昨年。先生はゆみに、「開催期間中、なるべく長い時間、会場に居なさいね。」 と、おっしゃいました。 「そうしたらきっと、絵を描く意味が、自分でつかめるから。」と。 そして去年は、会場に通って、「平泉会」の雰囲気を少しずつ感じ取っていきました。 なぜ絵を描くことを、先生は広めたいと思っているのだろう。 なぜ人は絵を描くんだろう。 その答えは、意外なものでした。 でも、ゆみの中にはいつの間にか根付いてるものでもありました。 芸術家として、優れた絵画を残そうとか、何かを人に訴えていこう、とかではなく、 絵を描くということ自体を楽しんでいくこと。 それでいいのですか?と思いました。 だったらゆみは、本当に絵を描いている時、筆を動かす時、楽しいから、 合格です。 生きてる間中、ちゃんと自分自身の手足や頭を動かして生きていけるために、 手先を動かし、何かを生み出すこと自体が、重要なことであることを、 平泉会の先生は、わかりやすく説いてくださってました。 先生のお話を直接お聞きする機会もあり、だんだんとゆみの心の中に、 「絵を描きながら生きていくって、楽しいことだし、素晴らしいことなんだ」 という考えが生まれて、広がっていきました。 昨年も会場に、言葉のメモのようなものが貼ってあって、絵を描くとは、 どんな意味があるか、ということを教えてくれていたのを、写真に撮ってきていましたが、 今年も、しっかり、その壁に貼ってある言葉を写真に撮ってきました。 できるだけ大きくなるように載せるので、どうかじっくり読んで見てね!! ねえ、読んでいただけましたか? 共感できる部分ありましたか? こんな一言がきっかけで、誰かが新しく、ものづくりに挑戦できたならいいなあと 思うんです。 「楽しそうだなあ」とか、「気軽に始められそう。」とか、感じてくれますように。 少なくともゆみは、こんな精神で、気張らず絵を描く楽しさを、生徒さんたちに 伝えられたらいいなあと思います。 アーティストって、その絵の具の種類や、習った流派なんかで所属が決まって 行くんじゃなくて、自由な発想で、ジャンル分けなんかないんですね。 どんな手段でも、手作りを楽しんでいくことは素敵なことなんです。 ゆみは去年より今年、これらの言葉にもっと共感できるようになってました。 考え方の路線が、少し整ってきたんでしょう。 芸術家とか、アーティストとか、特別なものじゃなくても、人間誰しも、 手先を動かして、ものづくりをしていっていいんだ、最後まで豊かな心と元気な体で 生き通す為に。 と、思えてきました。実感として。 去年もちょっと日記に書きましたが、この会の先生がゆみを発掘してくれたということは、 ゆみの中に共感できる心があったことを、先生はゆみの絵から感じ取ってくださったと いうことですね。 先生ってやっぱりすごいです。そしてこの「平泉展」、魅力的な展覧会でした。 続いての日記では、会場のレポートを画像付きで、お知らせいたします。 後編に続きます。お楽しみに。 ゆみちゃんの日記は、楽天ランキングに入っているかな? 楽天日記が好きな方は、ここをクリックしてね!!→
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最終更新日
2009年02月16日 02時32分45秒
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