テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:ゆみの一歩一歩<自分に向き合う>
時々はちゃんと、自分の心に向き合ってあげようよ。と、心の奥から声がした。 今、楽しいですか? と自分に問う。 楽しいんです。と、答えたがるゆみ。 今、日記に「国際バラとガーデニングショウ」のゆみ流レポートを連載していて それがいつも300くらいのアクセスがあって、 まだまだ先までレポートは続いて、書きたいことや載せたい写真はいっぱいで、 だから、夜は忙しく。 「国バラ」に行ってからガーデニング熱が増してて、帰ってきてから庭に出ることが多く、 今はお仕事も少ししか行っていないので、結構お家で花いじりをしています。 テディベアテラスのことにも意欲的で、日曜日には委託のアーティストさんを家に招いて、 今後のプランを相談しあいました。 そして実は、体を動かす新しいことを始めて・・・ 新たに自分を鍛えてシェイプしていこうとしています。 なんて、アクティブな表面の自分が、勝手に喋りだし、「大丈夫だよ。」と言う。 ゆみちゃんだから、いつだって元気だから、 だからもちろん今も、なんにも問題はないよ。前向きに進んでる。 そう言い張る。 本人がそう言い張るから、「そうだね、よしよし。」と認めるしかない。 けれど、本当はかなり参ってませんか?ゆみちゃん。 と、あえて尋ねてあげましょう。 「平気ですか?」 それでもきっと、ゆみはこのまま、前向きに歩んでいくのでしょう。 日記を始めて、今日で4年と2カ月。 何かあったときに、立ち止まることはよくあった。 立ちすくんだこともあった。 もう無理だ、と書いたこともあった。 大泣きした、と書いた日も数知れない。 そんな繰り返し。 でも今回は、ちょっと違う。 突然の変化があってから、40日が過ぎた。 そのことは降って湧いたけど、実は全てが身から出たさび。 泣いても状況は何も変わらない。 泣きたいくらいだけど、泣けなかった。 泣いていい立場にないのは重々承知。 それでも、友人には泣きついてみた。珍しく言って見た。「会いたいよ。」 究極の時に叩く扉も、叩いてみた。 でもまだ会えていない。彼女にも、彼女にも。 ゆみが頼りにしたい人たちは、みんな自分の波乱の人生を生きている。 「ごめんね、いまは会えない。もうちょっとがんばれる?」 そう言って、会えない理由を聞けば、彼女達はゆみよりしんどい。 だけど自分の人生から逃げてない。全て受け止めて背負っている。 それに比べたら、ゆみの泣き言なんて、甘っちょろい。 自分で巻き起こしたことを持て余してるだけだ。 よかった。そんな友人で。 「よしよし、かわいそうに」と、意味も考えずに慰めてくれる友じゃなく、 追い討ちをかけるように、お説教が届く。 「聞いてあげるのはいつでも聞いてあげる」と言いながらきっと、 まだまだ頑張りが足りてないゆみをお見通しなんだろうね。 ゆみの覚悟を思い出させる言葉が夜中に届く。 「決めたんでしょ。いいじゃん、それで。」 大人なアドバイスがもう一通届く。 そっか。自分の視点が、自分のことしか考えていなかったことに気付かされる。 いつの間にか、自分の主張を相手にぶつけてしまっていた。 「なんで反論しないの?どうして自分の意見を言わないの?」 ・・・ 相手は「わからなくなった・・・」と言った。 それを情けないと思ったけど、そう言わせたのはゆみだった。 世の中には・・・ <白黒つけないまんまに、曖昧に時を経たほうがいいことがある。> なのにゆみは辛抱がないヤツで、すぐに白黒つけたくなってしまう。 思えばいつもそうで・・・ だから自分に落ち度がないとき主張しすぎて、相手を傷つける。 あーあ、もう何度もやった失敗なのにまたやっちゃった。 「ゆみちゃんは正論を言いすぎる」と、ため息つかれた事があったじゃないか。 「事実を言うことは人を傷つける。ゆみちゃんの正直さは恐い。」と、 泣かれたことがあったじゃないか。 ある詩を読んだ時に、「あ、コレだったんだ」とわかったことがあった。 <正しいことを言う時ほど、控えめに言いなさい> それが人間関係をうまく行かすコツなんだと。 わかっていたのに、どうも相手もゆみも心を開いて距離が重なるほどになると そのルールを忘れてしまう癖がある。 まさに「親しき仲にも礼儀あり」なのにね。 で、今回は、危うく破滅の一歩前で、そのことに気付かされた。 たぶんまだ間に合う。 今ならまだ曖昧な部分を残してる。 「時がたてば・・・」と相手が言って、「時がたったらなんて、甘すぎるよ!!」 と叫んだゆみだったけど、徹底抗戦の前に相手が「時間切れだ」と言った。 きっとそれが唯一の救いで・・・ それ以上言い合いを続けたら、今はゆみは、花いじりにも心癒されてないね。 視点を変えてみた。 そんなにビッチリ向き合って四六時中考えるべきことなんだろうか? 今は相手が、がんばっているとき。 ならばゆみは、ゆみの別の部分をがんばっていこうよ。 向き合っても動くものでないなら、全く違う分野をがんばっていればいい。 そんなときに、たまたまガーデニング祭典があって、目の前に違う世界が開けた。 疎かになっていたことをがんばっていこう。 花いじりは、心を癒す。 なぜなら相手も生き物で、意思があり、すぐさま思い通りにはならない。 それでも、愛情かけて育てれば、思った以上に花開く。 そんな循環と手ごたえが、心に優しい。 実は今、明日に締め切りを控えた、新国立美術館の公募展のお誘いがあった。 28日までに某所に持ってきてくれたら、審査します、と。 ほぼ完成した絵があって、規定に合っていて、あとちょっと手を加えて提出する つもりでいた。 けれどそれは、手をつけられなかった。 絵に向き合うことも、没頭すれば違う世界が開け、精神衛生上とてもよい。 それはわかっていたけれど、今回はがむしゃらにがんばりたくはなく、 「せっかくのチャンス」と言う叫びよりも、 「まだ次の機会でもいいじゃないか・・・」という意見が自分の中で勝った。 なんだか、ゆみは今は栄誉あることは求めていないみたいだ。 そういうのが「向上心」なのか、よくわからなくなっている。 それよりも、ちょっとの幸せでいい、 毎日の安心だけでいい、 と今は心が訴えていた。 だから今回は、見送り、パス! 本当は心がめげているんだね、と自分でわかっていた。 どっかで一個めげると、心全体が弱々しくなるのも癖。 で、今回久々思いついた。 そうだ、体から鍛えなおそう。 健全な精神は健全な肉体から。心の健康は若さを保つ身体から。 そう言えば、ここんとこ何年も、心ばかり鍛えていた。 舞い上がったり落ち込んだり、突き落とされたり、助けあげられたり・・・ 確かに心はずいぶん荒波越えて、トレーニングできてきたと思う。 でも体のメンテナンスは疎かだった。 それは、おかげさまで健康だからだけど、でもここから先は見直さないと。 この辺でバランスとっておかないと、大変かも。 ってことで、20年ぶりにあることを始めました。 始めるにあたって、「ムリしないこと、体に余計負担かけないこと、」を誓った。 まだまだ長く使いたい体だから、ここでそうっとゴキゲン伺い。 夢中になって、余計傷めないように、静かにスタート。 最初の感想は、20年のなまった体を目の当たりにして誓いも新たにしながら、 やっぱり「爽快!」だったので、続けることに決定!! と言うわけで、心身ともに、バランス取り直して、出直しましょう。 誕生日も近く、いやでもまた一コ歳が上になります。 なんだかんだと、勝手に自分に向き合っておしゃべりしてみましたが、 こんな風にたまに、一気に言葉を吐き出しつつゆみは進んできたのでした。 「自分の日記なんだからいいじゃない」と、応援してくれる人に支えられて、 ゆみ自身は疑問いっぱい持ちながらも、書いてきた言葉達。 吐き出さないとモヤモヤするものを、 例えば、「匿名でべつんとこに赤裸々に書いちゃえば?」と人に言われても、 ゆみはここにゆみの範囲で書けることだけ、書いてきました。 ほかに吐き出し口は持たなくてもいいんです。 たぶん匿名にしてまで何かを書きたいわけではないから。 ここに書いた言葉で、ゆみはまた歩くのです。 で、「元気?」と聞かれたら、やっぱり、「元気。」と答えるし、やる気満々だし、 毎日楽しいし・・・ と、元に戻って・・・ ああ、それがゆみちゃんだね!! と、自分自身で納得していく。 なので今日も・・・ゆみの日記は「毎日、一歩一歩。」 わけのわからないことを最後まで読んでくれた方、感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月28日 00時59分14秒
コメント(0) | コメントを書く
[ゆみの一歩一歩<自分に向き合う>] カテゴリの最新記事
|
|