テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:ゆみの一歩一歩<何気ない日常の中で>
今日は親戚が一堂に会して、お見送りをしました。 5日の朝、珍しく早い時間に電話がなって、その知らせは届きました。 いとこ君のお父さん、旅立ちの知らせです。 この日記を始めてすぐの2005年3月、やはり同じようにして親戚が集まり、 お見送りの日があって、そのときから、ゆみたちいとこ5人、通常の「いとこ」という くくりより親密に、子供時代を過ごしてきたことを、5人の写真入で載せてきました。 一人の人を見送ると、その一年後、二年後と、またみんなで集まることになり、 だからこの何年か、何回かは顔をそろえてきたいとこたち。 そしてもうひとつの話題として、ゆみの日記に、「ゆみのつぶやき」を連載してた頃、 「きみ」がいとこ君の親友、ということで、よく登場していたいとこ君。 そのいとこ君のお父さん、ゆみのおじさんが旅立ってしまいました。 ゆみの母方の兄弟は3人。三家族に一人ずつ、同じ年に子が生まれ、女の子ゆみと、 男の子二人、いとこにしては珍しく仲良く一緒に育ちました。(全部で5人) 幼い頃は、もちろん、高校生になっても三人でお出かけしたり、誕生日をしあったり、 成人式にも三人で写真を撮って・・・いつしかみんな家庭を持って。 そういう絆というものは、離れても、どこかで終わりということがないもので、 会えばいつでも親しくいられる唯一の関係。 特に、日記に登場のいとこ君とは、仕事も一緒にしたこともあり、最近までも よく会っていました。 「今度みんなで会おうね。冠婚葬祭があれば会うことになるわけなんだけど、 それはきっと、冠婚じゃなくって、葬祭のほうになっちゃうから、 そうなる前に楽しく集まろうね。」 そう約束していたのに・・・集まる日は意外にも早くやってきてしまいました。 ゆみの家が、去年の秋に、みんなを集まらせてしまう事態に近かったのですが、 我が家がそこから奇跡的に抜け出したと思った矢先の、今回のことでした。 いつもは元気のよい絵文字入りのメールに、今回は絵文字のカラーはなく、 「訃報」という悲しい2文字の題名が届きました。 一番若いゆみたち三人が、立派に(?)この歳になるまで、みんな両親が欠けずに 待っていてくれたことは感謝ですが、それでもまだまだ未熟者ゆえ、 納得して送るには至ってないものです。 おじさんについてゆみが思い出すのは、二十歳になったとき、初めて黒ビールを 飲みに連れて行ってくれたこと。 ゆみの家は両親ともお酒を飲まないので、「お酒をゆみちゃんに教えてあげなくちゃ」 と連れ出して、ゆみが初めて飲んだ黒ビールをおいしいと言ったら、 「ゆみちゃんはいける口かもしれないよ。」と喜んでいました。 心残りと言えば、いつか「イーネ・イーネ」で一緒にワインを飲みたいと思いつつ、 実現はしなかったこと。 ゆみが本当にワインが飲める大人になったときに、おじさんがまだゆみが 二十歳のときくらいの若さだったらよかったのに、と何度か思っていました。 もうひとつ、ゆみが二十歳で人生を決めてしまったときに、わざわざ相手がやってるお店 まで一人でやってきて、吟味してくれたこと。 「エスプレッソを出すと言うなら、おじちゃんがイタリアで飲んできたのより おいしかったら合格だから。」とおじさんはコーヒーを注文して、 ゆみがそこで一押しの生パスタの和風を食べてもらって、お話をしてもらいました。 実は「エスプレッソは、もっと違ったよ」とダメ出しが出たけれど、相手の人柄は 気に入っていただいたようで、それで話が進んでいきました。 ・・・そんな話はいとこ君も初耳じゃないですか? また別の話。幼い頃にゆみがおばあちゃまに「ハンサムってなあに?」と聞いたときの おばあちゃまの答えが、「ゆみちゃんちのパパも○○○くんちのパパもハンサムじゃない けど、○○くんちのお父様だけはハンサムねえ。」というものだった。 子供って、そんな話をしっかりと胸に刻むものです。 そんなおじさんは・・・ ゆみが日記を書く中に登場したことがあって、それは「つぶやき」のきみとの 出会いの話の中で、きみの親友がゆみのいとこ君だとわかる場面で、きみが言った言葉。 「親父さん、髪の毛ひとつに結んでんだろ。」 「うん。そうそう。」 ゆみたちの親世代で、髪の毛長髪で結んでるおじさんなんてめったにいないので、 これは決定打となりました。 もしかして、おじさんの話出ていなかったら、ゆみときみは、会うことになって いないかもしれない。 そうしたら、ゆみがディープインパクトを知ることも、ましてや後に絵に描くことも なかったのかもしれない。 そう考えると、ゆみの節目に大事な意味をもたらしたおじさんでした。 そして、おじさんとはお正月には必ずお会いしていたので、なぜか着物姿が一番 浮かびます。茶色の羽織でした。 「粋」とか「モダン」とかが似合う方でした。 いつかはやってくるお別れの儀式。 ゆみは今日、受付をさせていただきました。 うちの両親は、この席に二人とも欠席せざるを得ない体調だったので、せめてもの なにかのお役に立てば・・・と。 偶然にもそこに「きみ」は訪れて、思いがけなく再会。 2008年の1月の新国立美術館の「すれ違い事件」はしつこく日記に書きましたが、 それ以来のきみでした。人生は本当に見通しのつかないものですね。 ゆみの日記、最初、お仕事日記ということで、プライベートは何も書かない方針でした。 というか、ゆみ自身の個人の気持ちを書く場所にしたくて、家族・親族は登場させない つもりでやっていましたが、なにかあるとわかるんですね。 人間は、家族・親族単位で生きているのじゃないか、と。 なので、こういう日に、まったく違う話題を書いたら、それは日記じゃなくなってしまう。 ありのままの自分の記録にするために、ここを持っているのですから、 こういうときには、リアルタイムにリアルを書かないとおかしいことになってしまいます。 今後、避けようとしてもいつかは順番にこういうことが回ってくるのですものね。 そんな日にも、人としてきちんと歩くために、ちゃんと自分に起きた出来事を 自分自身で考えながらいかないとね、と思います。 というわけで、明日がいよいよ、お見送り本番となるわけですが、 今夜、この日記を書くことがゆみの、感謝の気持ちとお見送りの気持ちです。 こういう日だからしばらく日記自粛、という方法もあったと思いますが、 あえてこういう日記を書くことをゆみのやり方として選ばせていただきました。 いとこ君はちゃんと頼もしく、仕切っていました。 ゆみたちってもう、どっから見ても大人じゃなくちゃいけない歳なんですね。 次の世代の若者たちが育っているのですから。 そういう中堅どころのゆみたちの活躍を、空から見守ってくれてる人が また一人増えたと思って、 これかも、またなにか協力し合いながら、一歩一歩、 みんなで進んでまいりましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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