テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:ゆみの一歩一歩<自分に向き合う>
ハルカちゃんがドイツに帰っていきました。 日本にいる間にもう一度会うことになるかと思って、スタンバイしていたゆみでした。 ハルカちゃんは日本滞在の間、プリペイド携帯を使っていました。 そして、その携帯からは、会いたいとか、そばにいて、というSOSは来ませんでした。 今はもうその携帯には通じません。 と言っても、ドイツからすぐにメールは届き、facebookにはドイツで新たなスタートを 切ってる活き活きとした記事が描きこまれています。 強いなあ…とゆみさんは感心します。生きる力を感じます。 ドイツに帰る時、ゆみはハルカちゃんに言いたいことがいっぱいあって、 後悔を残して行ってほしくなくて、もう一歩を踏み出してほしくて、 それが励ましになると思って、言葉を繰り返し伝えていました。 ハルカちゃんからのお返事メールの文字にハッとしました。 「ゆみさん、厳しい…」「ゆみさんのパワーある言葉が胸に刺さるよ。」 そうか。これは押しつけなんだな。と気づいたときにはもうかなり、ゆみはハルカちゃんを 追いつめていたのでした。 「それでいいの?本当にそれで後悔はない?」 そんな言葉をぶつけていたゆみ。 でも、ここまででいい、ここが区切りだと決めるのは自分なんだよね。 この場合は、ハルカちゃん自身。 思えば数か月前、ゆみも同じようなことをしたのでした。 自分の納得がいくところまで、行動したかった。 確かに友達が応援してくれていて、もっと頑張らないのか、本当にこれでいいのか? と聞いてくれたけれど、ゆみは、うん、ここまででいい、自分がやりたかったのは ここまでだから、と自分で線を引いた。 その線は、一生そこでストップということじゃなくて、今はここまで、という自分の線。 人から見たら、中途半端なところでも、自分の中では、ここが今の限界。 限界とは悪い意味じゃなく、自分で決めた自分の納得がいく範囲のことだ、と その時ゆみは思ったはず。 なのに今回、ゆみはおせっかいな視点で、ハルカちゃんに、もう一歩がんばれないか? とアドバイスしていたのでした。 気づいて、慌てて黙ったのだけどね。 でもハルカちゃんはしっかりと、自分の気持ちを説明してくれて、それでゆみは、 あ、あの時の自分と同じなんだ。自分には、自分の決めた限界があるんだ、と 改めて、納得しました。 そう、黙ったのは、あきらめたのでも見捨てたのでもなく、ハルカちゃんの意思を 尊重したから。尊重した、というより、敬意を払った、と言った方がいいかもしれません。 ハルカちゃんが使った「咀嚼」という言葉に、ああ、そうなんだと感動しました。 そうなんだね。人は自分の心に浮かんだ考えを納得するまで咀嚼する時間が必要。 その時、誰かが応援してくれてると心強いけれど、でも一人になって考える作業の時には、 慰めてくれたり、問題を投げかけてくれる友でさえも、いらなくて、 必要なのは、自分の心と対話することなんだよね。 ゆみの親友もそう。すごいSOSをくれて、手助けしようとアプローチすると急に、 ひとりの世界に戻っていってしまうことがある。 そこを侵入しようとすると、「殻に閉じこもったんじゃないよ。今は一人で考えたいの。」 と答えが来ることが何度もあった。 ハルカちゃんも「自棄になってるんじゃないよ」と書いていたね。 投げかけたSOSには、答えてくれる覚悟がある人の存在が確かめられただけで、 もうあとは、必要ないのかもしれないね。 いざとなったら一人じゃないんだ、ということがわかればそれでいい。 逆の立場だった時、ゆみの親友が「ゆみちゃんが泣くんなら、一緒にいてあげられるのは あたししかいないでしょ」と言ってくれました。 だから…泣かないでいられた… ハルカちゃんの言葉で、自分の経緯にも意味が付きました。 教えられることがいっぱいだったよ。 ハルカちゃんの言う「咀嚼」の時間。その一人の大事な時間を日本で過ごして、 ハルカちゃんは旅立ちました。 「うん。これが区切りで、これ以上は何もしない。」 と言ったハルカちゃんの言葉は、今思えば、まるでゆみが発した言葉のようでした。 咀嚼…「自分が下した決断でも、それを肯定するのに時間がかかるの」 と、ハルカちゃんはちゃんと説明してくれました。 そうなんだよね。ゆみは日々やってることはそれだ、と思いました。 下した決断を覆すつもりは毛頭ないんだけれど、「これでよかったのか、いや 他の方法もあったのかもしれない」「いや、でもこれでいいんだよ、これがゆみの出した 今の答えなんだから」と、日々、「考える人」になっています。 そしてこれからずっと、そんな葛藤は続くのかもしれません。 ゆみの答え、ハルカちゃんの答え、それは今後ずっとそれぞれ自分自身が背負うもの。 そういうこれからを生きていく、ということ。 これは、決して終止符ではないので、これからも気持ちは揺れないとは限らない。 だからこそ今、突き詰めて結論まであからさまにすることなく、 余韻を持たせた今の区切り方は、一番適切なのかもしれないと、ゆみさんは思います。 きっとそれは、20代、30代、40代ってことなんかに関係なく、みんな 道の途中の出来事なのかもしれないよ。 あの時のあの区切り方が、よかったか悪かったのかなんて、死ぬまで、もしくは死んでも、 だれにも答えなんて出せないものなのかもしれません。 だからこそ、今付けた自分の区切りに、納得がいくような毎日を 精一杯送ることしかできないんだと思うし、 少しでも光の当たる方向に、次の一歩が出せるように、がんばることが生きる道なんだと思う。 そして、ゆみはともかく、ハルカちゃんは、その光がどこから来ているかを もう探し当てているのだから・・・ きっときっとその光は、強く温かいと信じて、今度は自分の中から、湧き出る気持ちの そのままに、進んで行ってほしいと思います。 「ゆみさんがそばにいてくれる気がして心強いよ。 帰りのフライトは独りなの。ゆっくり考えられるいい時間になりそうだよ。」 ハルカちゃんはそう言い残して、ドイツへと旅立ちました。 今回、自分の心をもう一度見つめなおせて、意味がつけられたのは、ゆみの方だったと 思います。まるでハルカちゃんが、そのために日本に一時帰国してくれたかのよう。 本当にいい時がすごせ、そして、落ち着いた心で、12日の日記が書けました。 お礼を言うのはゆみの方です。 そして書いた「相田みつを」の日記たち。 ドイツのハルカちゃんから、「自分の気持ちの締めを、ゆみさんの日記がしてくれた。」 とメールが来ました。 「みつをの詩が代弁してくれて、自分の気持ちの中に気持ちを取り込めた」と。 たぶん人は、そういう作業を繰り返して、自分の気持ちを自分で咀嚼していくんだね。 まだまだ道の途中だけれど、でも、そうであることを、 素直に語り合える友がいてくれることが、人生の大きな支えなんですね。 ハルカちゃんに今日はこんな詩を送ります。 TOPに載せたハガキ、ハルカちゃんにプレゼントしようと思って買ったものの一つです。 画像で、見せるね。相田みつをの、ろうけつ染めの作品なんだよ。 そして、ハルカちゃんが日本に来て、二人で一晩じっくり向き合えたことのお礼に、 こちらの詩を送ります。 これからも、よろしくね。 にほんブログ村 FC2ブログランキングは こちらはインテリア・雑貨部門! クリックお願いいたします ブログラム登録してみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月29日 00時39分01秒
コメント(0) | コメントを書く
[ゆみの一歩一歩<自分に向き合う>] カテゴリの最新記事
|
|