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カテゴリ:GOODS
うちの台所にある、
手を広げたらジョーズの口になる鍋つかみは、 もうずいぶん前にもらった、姉からのアメリカ土産だ。 私はこんな遊び心のあるオモシログッズが大好きなのだが、 かなり焦げてしまって先の部分がボロボロで、 穴から指まで見えるので実用から遠ざかってしまい、 引越しの際、何度か捨てようと思ったのだが その度に躊躇して、今に至っている。 この鍋つかみを焦がしたのは、イ・ハンシクさんの奥さんである。 イ・ハンシクさんというのは、 私が韓国に来た当初から大変にお世話になった人で、 下見がてら韓国に来た際、丸1日かけて市内をいろいろと案内してくれ、 翌日には彼の車で観光にも連れて行ってもらった。 夏の暑い1日で、 途中、休憩に寄ったハンシクさんの自宅で、 急な訪問にもかかわらず、 ハンシクさんの奥さんは、スイカやジュースを出してもてなしてくれた。 日本ではスイカに塩を振るという話にハンシクさんと奥さんは驚き、 ハンシクさんは軍隊時代、ジュースに塩を入れて飲んだという話に私が驚いた。 「え?塩!?」 「暑い中で作業をするから、そうやって塩分補給してバテないようにするんですよ^^」 そんな会話を、 横でニコニコして聞いていた奥さんを今でもよく覚えている。 その、ニコニコしている彼女とハンシクさんは、 教会で知り合ったという。 「一目見て、彼女だ・・!と思いました。^^」 照れもせずそう話すハンシクさんは敬虔なクリスチャンで、 そのストレートさが、いかにも彼の人柄の良さを感じさせた。 けれども、 「結婚式の時の彼女と、家にいる時の彼女(つまりスッピンの)と、 全然違うでしょ~~??」 と、写真を指して笑わせたりする茶目っ気も併せ持っていた。 結婚して5年ほどだと聞いたが、子供がいないせいか、 スッピンの奥さんは学生のようにも見え、かわいらしかった。 韓国に引っ越してきた時、我が家に、 大きなお鍋いっぱいにテンジャン(味噌汁)を作って持って来てくれ、 それを暖め直すとき、鍋つかみをうっかりガス台の上に置きっぱなしにして コゲさせたのが、その彼女だった。 ソウルに住み始めてからも何度かハンシクさん夫婦と会い、 私のリクエストでソルロンタンを食べに行ったりしたが、 実は奥さんが腎臓を患っているという話を聞いたのはその少し後だった。 人工透析をしているという話で、 だったら食べ物にも制限があるだろうに 彼女は私と一緒に食事に付き合ってくれたのだ。 教会で彼女と会ったり、その後ごはんを食べたりした時は 元気そうに見えた彼女だったが、 入院したと聞いたのは、 私がソウルからプサンに引っ越した後だったと思う。 まだまだ若く、しばらく経てば元気になってくれるだろうと そう願っていた彼女が 天国に召されたと聞いた時は、正直、信じられなかった。 心細い海外生活で、一番最初に親切にしてくれた人で、 大量のお味噌汁を作ってくれるくらい元気だったのに・・ あの時も、本当は体調を崩していたんだろうか・・ そして ハンシクさんは・・? ハンシクさんの気持ちを思うと、無性に泣けてきた。 それから半年ほど経った頃、ハンシクさんが仕事でプサンにやってきた。 私達はしばらくぶりに再会し、 思ったよりハンシクさんが元気そうだったので私はちょっと安心した。 海岸沿いの屋台でお酒を飲み、 注がれるまま、焼酎をストレートで数杯呑んだ。 ハンシクさんにお悔やみを言うと、 彼はお礼を言いながら、穏やかな顔で 「私も早く彼女の傍へ行きたいですよ」 と言う。 私はお酒を飲んだら陽気になるほうだが、 この時ばかりはハンシクさんの、 冗談とも本気ともつかない言葉が切なくて、 「そんなこと言わないでくださいよう~~」 と、涙が止まらなかった。 ハンシクさんが、本当にフッと彼女の傍に行ってしまうような気がしてしょうがなかった。 だから、 その後1年くらい経って、 ハンシクさんが再婚したと聞いた時は、驚きと同時に嬉しかった。 心底良かったと思った。 さらに昨年、 待望の女児が誕生し、ハンシクさんはパパになった。 この赤ちゃんはハンシクさんへの、神様からのギフトだと思う。 それまで、あの鍋つかみを見るたびに、 私は彼女を思い出し、 いっそ捨てようと何度も思ったが、 悲しい思い出だけじゃなくなったことで、私はこれを捨てずに済んだ。 時々、グラタンなど取り出すのに使って、 その度に指先が焦げて穴が開いてるのをすっかり忘れて 台所で「アチチ!!××;」などと悲鳴をあげる羽目になるのだが、 それでもこの鍋つかみは捨てがたく、 今も台所に掛けられている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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