脇役な1日
あんなに怒ったのは何年ぶりだろうというような怒り方をした。もちろんそれだけ怒る理由は私にはあったが、このところの息子はなんでもかんでも受け付けないようなところがあって、私はひとり無力感と自己嫌悪の塊になっていたわけだが、不思議なことにあの日から息子は憑き物が落ちたようにすっきりしている。ここ1ヶ月ぐらいだろうか、ささくれ立った息子の言動はこちらの小言など関係なく繰り返されてきていて、私は「反抗期なのかな」「これはこれで受け止めなきゃなー」と私なりに対処しているつもりだった。でもそれはまったく届いた感じはしなくて、か~なりお手上げな気分だったので、ここに来て曇りのない笑顔を向ける息子は「あんたは誰?」というぐらい別人に見える(苦笑)想像しかできないが、唯一思い当たるのは彼は大事な試合を目前にしていたということ。彼なりにプレッシャーや緊張感が高まっていたのだろうか。私の人生では私が主役で彼が脇役、彼の人生では彼が主役で私は脇役。この役割分担は案外っつうか、相当に難しい。台本の読み合わせが足りないせいなんだろうか、もともとの台本が複雑なんだろうか、それぞれが自分の人生の主役でいっぱいいっぱいだったりすると、相手の人生の脇役なんかやってられるかーという気になったりする。逆に、自分の人生はほっといて、相手の脇役のところを頑張りすぎちゃったりするとそれこそ相手は主役としてやりにくくてたまらんだろう。息子の人生のシナリオは、成長にしたがって確実に複雑になってきている。私は「反抗期」だなんて軽くくくったりせず、もーちょっと丁寧に読み込みすべきなのかもな~。で。今日という1日は、息子メインの設計であーる。またおにぎり持って試合観戦(笑)そのあともイベントが2重3重になっている。でも、考えてみれば脇役ったって、自分自身はその役を精一杯やるわけで、そういう意味じゃ主体はいつだって自分にあるんだよなーと。脇役としての主体。うん。これは私の人生のテーマかもしんないぞ。そんなことを思いながら、さ、おにぎりでも握るか~。