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カテゴリ:イエスさま
みなさま、こんにちは♪
昨日の”ふーどの祈り”の続きでございます。 伊藤神父様が、講演の中でご紹介された医療者の二人目の方。 内田産婦人科の助産師の内田美智子さま。 内田美智子さまともう1人の方の共著でありますが、 「ここ」(西日本新聞社刊)という本があります。 とても、おススメしたい本なのですが、出版社に在庫があるかどうか… お読みになりたい方は、出版社の方にお問合せを。 伊藤神父様が、見せてくださった、内田さまのスライド。 生命の誕生に喜ぶ母親がいれば、 産声をあげることの無い子を出産する母親の悲しみ…。 そして、低年齢化していく、子供たちの性の問題。 内田様からの次世代への警告が伝わってきました。 「ここ」の本は、やはり食との関係性も書いてあります。 ワタクシ、読んでいる途中ですので、 また読書感想を報告したいと思います。 ここから、ワタクシの思い出話になってしまいますが、 どうかお付き合いを。 伊藤神父様に見せて頂いたスライドの中には、悲しい母親の姿がありました。 ふと、悲しい女の人の姿を思い出してしまいました。 ワタクシの生まれ育った街に内科と産婦人科の小さな病院がありました。 昔は、遊郭の女性たちの検査所でもありました。 そこの「赤ひげ先生」のお話です。 赤ひげ先生は、大酒のみで、どこか役者さんの山崎努さまのような風貌をしていらっしゃいました。 病院は、いつもおじいちゃん、おばあちゃん、子供たち、 そして、あるお商売のオネエサンたちで、いっぱいでした。 「で、どうするんだ、あんた!」とオネエサンを延々説教しては、 「手術、いつにするかな…」とつぶやいていました。 その後ろにハナタレ娘のワタクシが、ひかえており、 「今日は、どうした~」と先生は、優しく(あんなに怒っていたのに)聞いてくださいました。 ワタクシの住んでいる家のすぐ側に身障者のお姉さんがおりました。 仮にSちゃんと呼びましょうか。 Sちゃんは、いつも大きな荷物を運んで働いていました。 明るい性格で、いつもワタクシに「おはよっ」と声をかけてくれました。 ワタクシも「おはよっ」と返事をかえしていました。 ある日、Sちゃんの姿が見えなくなりました。 お茶の時間に母が、ため息つきながら、こう話してくれました。 いつからだか、 夜になるとSちゃんの部屋の窓の下に男の人が来るようになったそうです。 口笛を吹いて彼女を呼ぶと公園に誘って行き…。 Sちゃんには、恋だったかも知れないけど、 相手には、そうじゃない。 やがて、Sちゃんのお腹が膨らみだし、 赤ひげ先生のもとに…。 赤ひげ先生「こんなになるまで、どうして放っておいたんだ!」と Sちゃんを怒り、 「来い、俺が言ってやる!」 と彼女の腕をつかんで、相手の男の人のところに怒鳴り込みにいったそうです。 Sちゃんが、どうしたかは、皆さまご想像で分かることと思います…。 やがて、何もなかったようにSちゃんは、働きはじめました。 「おはよっ」て声もかけてくれました。 赤ひげ先生は、80才過ぎまで診療を続けられ、 それは亡くなる1日前まで。 診察を終えられた赤ひげ先生は、天国に旅たって行かれました。 患者のために本気で怒ってくれたあるお医者様のお話です 今日は、この辺で お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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