黙祷
1995年1月17日 午前5時46分52秒 阪神淡路大震災発生12年経ちました。 Updated 2007年01月17日 05時49分42秒阪神・淡路大震災被害死者 : 6,436名 行方不明者 : 3名 負傷者 : 43,792名避難人数 : 30万名以上住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所被害総額 : 10兆円規模命名 1月17日の災害発生時、気象庁は地震そのものを「平成7年(1995年)兵庫県南部地震(The South Hyogo prefecture Earthquake in 1995)」と命名。 しかし気象庁による正式命名に先立って、毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始めた。他の報道機関のなかにもこれに追随する者があった。 一方朝日新聞や日刊スポーツでは「関西大震災」と長い間呼称した。 その後、政府が、今回の災害の規模が大きい事に加えて、今後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点や、淡路島地区の被害も大きかったことにより、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称する事が2月14日に閣議口頭了解され、「阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律」が制定された。この時に「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになる。Updated 2007年01月17日 08時36分45秒◆で、私も、及ばずながら何度も炊き出しや解体作業のボランティアに参加させていただきました。 「筆舌に尽くしがたい」惨状でしたので、詳しくは書けませんね。 でも、皆さんがエピソ~ドをお書きくださったように、私にもいくつかのエピソ~ドがあります。◆一番、腹に据えかねているのは、炊き出しのボランティアについてですが、私の場合は、ある女性活動家の尻について参加させていただいたのですが、ま、最初はトラックの運転手って感じで参加させていただくようになりました。 で、あるとき、かなり立派な立場の方がこんなことを仰ったんです。 「人を助けるって言うのはなぁ、炊き出しとかに行ってご飯を食べさせてあげるんぢゃなくて、自力で食べられるようにして上げることだよ。」 私は、十何回、この炊き出しボランティアに参加しましたが、もちろん、この方は、1回も参加されてません。◆で、また、あるとき、この企画も、トラックとマイクロバスで、資材と人員を神戸へ送り込んでいましたので、参加希望者の全員が希望した日に参加できるとは限らないんですね。 そこで、あるグループのリーダーの方が、この女性活動家の企画の組み方について、公の場で横槍を入れ、四の五の文句を言って、結果、自分のグループのメンバーを無理矢理参加させたんです。 私は思いましたねぇ。 そんなに参加したいのなら、自力で参加すればって。一体、何のためにボランティアに参加しようとしてたんでしょうか? 後で判ったことですが、このリ~ダ~さん、別件で、この女性活動家のご主人に私怨があって、それを晴らそうとしたんだってことでした。ぉぉ~桑原、桑原っ!◆嫌なお話しが2つ続いちゃったので、ぃぃお話しをお一つ。 これは解体作業のボランティアに参加したときのお話しですが、2泊3日のボランティアでした。宿泊施設は、民間の施設をお借りしたのですが、そこの所長さんはそれなりの立場の方で奥様も所長夫人ってことで、それなりの立場の方です。 で、私たちが解体作業から帰って参りますと、お風呂をどうぞ、オニギリをどうぞと、その所長夫人さんが先頭に立って、甲斐甲斐しくお世話どりくださったんです。 笑顔もステキで、疲れが癒されました。 そのときは、私も独身だったのですが、家内と結婚する話が進んで判ったのは、実は、このご婦人、家内の叔母でした。世界は狭いですねぇ。◆話は、まだまだ尽きませんが、今日はこれぐらいにしておきます。