赤富士
ネットオークションで、綺麗な赤富士の絵を見つけたので落札させてもらった^^額縁は無く、マットもボロボロ、仕方ないので、マットから本画をはずし、眺めておる。10号ぐらいの大きさであろうか、絹本に岩絵の具で描かれた赤富士である。「武藤彰:(むとう あきら、1913年(大正2)~2006年(平成18)岐阜県出身。京都市立絵画専門学校卒。師匠:山口華楊 宇田荻邨 。 京都市立絵画専門学校卒業後は、同校の日本画科助教授として後進に指導する。その傍ら自らの作品を製作し、京展に出品、1945年には市長賞を受賞。 展覧会では、京展の出品以外には余り見ず、団体にも属さず無所属個展主義を貫き、各地のギャラリー個展やグループ展を中心とした活動を行っていた。 主に、京都の自然風景を主題とした、詩情豊かな表現と色鮮やかな色彩により四季折々の作品を展開。2006年逝去。」武藤は、京都市立絵画専門学校(現 京都市立芸術大学)を卒業後、同日本画科助教授として教壇に立ち後進の育成に努める傍ら、新文展(現 日展)へ入選、京展へ入賞を重ね、京都御所の襖絵修復を行うなど京都画壇での注目を集めました。しかし昭和41年(1966年)、宇田荻邨主催の画塾白申社解散後、公募団体や画塾での活動に疑問を感じ日展を離れることを決意。以降は無所属作家として孤高の姿勢を貫き通し、東京や京都、郷里の岐阜で作品発表を続ける一方、昭和52年(1977年)川村憲邦らと共に京都の無所属作家を募り「光玄展」を開催。個展とともに光玄展での発表を中心に活動を続け、自らの信ずる日本画の探究、研鑽を貫き、京都の四季折々の自然や桜を題材に詩情豊かな作品を数多く発表。武藤の清澄な画風は高く評価を受け、各国元首への献上画、東大寺華厳経扉絵、龍安寺の天井画、京都や奈良の桜の屏風などを手がけました。周囲の評価に惑わされることなく独自の表現を求め、芸術家としての信念と誇りを持ち後継の育成に尽力する武藤の一貫した姿勢は、現在に至る光玄会の理念、運営方針に多大な影響を及ぼしています。』何処か惹かれるものがあり、落札させてもらったんじゃが、観ていて飽きないものを感じる。^^拙者も多少は絵心があるから、描き手の気持ちが伝わるようで・・どこか、拙者と同じ匂いのする作家じゃて。朝焼けの風景じゃが、岩絵の具の辰砂を贅沢に使った日本画。こういうもんは、縁起物じゃから一枚ぐらいは欲しかった^^ 裏打ちをして、表装してやるかの~・・それとも、外注に出そうか?下手な表装で、台無しにしては勿体ないからの~^^