改めて産鉄文化を思う
100ボルトの電気溶接機を購入しました。 家庭でなんと気軽に鉄材の加工が面白いように出来ます。 鉄片を繋ぎ、変形させ思うように堅い鉄が形をなしていきます。 再加工が木材加工に比べ容易です。 木材加工が静的なら、鉄加工は動的といえます。 溶接は部分的に溶融して鉄片をつないでいきますが、全体を熱してハンマーで叩くと又容易につながります。 砂鉄をふくんだ真砂土が住居の周辺にあり、川、海には層をなして砂鉄が堆積していた古代の伯耆、産鉄の技術を知ってから規模の大小はあれ生活にもちいるものをタタラ製鐵していたんではないでしょうか。 木地師が轆轤を回し木を加工する刃物も自分たちで作るものもいたのではないでしょうか。カナクソとよばれるタタラの鉱砕なるものの分布が多く分布してるようです。 鉄の道具を作れるようになった生活は進歩し、それを交易することにより私財も豊かになりました。 今は草生した山中に驚くほどの墓石群が存在するのはその名残でしょう。 社寺仏閣の廃寺跡が当地に多いのも当時の信仰心が深かったのと同時に寄進する豊かさが背景にあったようです。 現在は、山間部から人が撤退して、山が豊かでなくなったので町の景気も悪くなり、お寺も維持に大変のようで、観光を考えたり、飲料水自動販売機を境内に置いたり坊さんも経営におおあらわのようです。 一時日本の90%をまかなったという中国山地の砂鉄の恩恵はここ伯耆の国も充分にうけていたようです。 くらしよしが語源だという言い伝えの倉吉が証拠でしょう。 鉄を見ながら、いにしえの鉄に思いを馳せました。