馬ノ山・高浜遺跡地は扇の要
湯梨浜町が熱気に包まれた日曜日の昨日でした。 橋津藩倉が地域における先取の発展を促した証と、馬ノ山古墳時代からの文化の中心が形作られた所以の講演会でした。水運の利、地形の利がここ中部地の濫觴がうなずけるものでした。 会を終え、古墳地以外の地に大量の埴輪が発見されたという高浜遺跡にいってみました。 なんでだかと不思議がられていてまだ解がないようです。 今は中部地区の下水道の終末処理場が、高浜遺跡地にでき、中部の中心としてあるのは、くしくも昔も今も中心地として、重要なところの様です。 遺跡地の裏の高所に道があり、天辺から遺跡、処理場、ひるがえると日本海も遠望できます。 終末処理場のおおきな建物の横に黒々と敷設された太陽光パネル群が、遺跡地の横に遠望できるのもなにか、違和感なく感じられるのが不思議でした。 高規格道路が急ピッチでつくっられており、目下には立派な道路がもう完成していました。 新時代の中心地として栄えてほしいものです。、