大詔奉戴日と言った12月8日
12月8日は、大東亜戦争勃発、真珠湾攻撃の日、あれから75年もなる。 攻める側からみると、奇襲攻撃で、宣戦布告の時期が云々されるが、攻められる方では無防備でたまったものではなかっただろう。 原爆で非戦闘員を大量殺傷、しかも降参するとわかってるのに、プルトニュームの実験を長崎で3日を待たずに行ったのは人道を逸脱してるが、奇襲の代償として語られるのは致し方ない。 紛争を武力で解決しようとする人間のサガが悪い。 昭和16年、小学校が国民学校と改称され、新1年生は、12月8日を大詔奉戴日と記憶させられ、戦争の真っ只中を生きてきた。 「欲しがりません勝つまでは」食い物、衣類、履物も不足する中で、戦地の兵隊さんの苦労に比べて我慢した。 遊びも戦争ごっこ、あこがれは軍人さん。 昭和20年8月15日をもって終戦。 在郷軍人の凋落ぶり、巡査、教師のあわてを目の前にし、教科書を墨をぬるのが日課となった。 空襲警報がなくなって安楽になったが、これから先の所を墨塗るのはいいとしても、1学期の今まで教えられたところを間違いだと墨ぬるのは、先生も大変だったろうが、生徒もこれが負けたということかと知った。 民主主義が喧伝され、話し合いがなにかとクラスに持ち込まれ一部のクラス員に多大の負担を掛けたものだった。 学制改革で6,3,3で新制中学ができ、地元で新しい中学1年生となった。 柔道、剣道は、進駐軍から禁止。 相撲部として、雨天の時室内で畳の上で練習する名目で柔道するというややこしいいいわけの柔道だった。 孫のスイミングプールに、週1回アッシーをつとめてるが、のびのびとみんな泳いでて平和っていいなと思うことしきり。