関金御幸行列
関金御幸行列のお話しをききました。 なかなか練習が、きびしいと青年が語っていましたが、伝統のあるお祭りに参加してる満足感に満ちた顔でした。 倉吉市指定無形民俗文化財に指定。日吉神社、湯関神社、大鳥居神社の例大祭奉納の行列とのことです。 江戸時代の後半から行われてたそうで、万延元年(1860年)御幸祭礼を行ったという覚書が残っているそうです。幕末に鳥取東照宮の古式祭礼を神官戸倉某から習ってきたと伝わってるそうで、道具は藩から交付されたとか、鳥取東照宮のものを貰い受けたとの説があると由来沿革にありました。をを そして、参勤交代の共揃いに似てるところから大名行列とも呼ばれているが大名は登場しないとむすばれています。 先頭は湯関神社、大鳥居神社、日吉神社の順に、所作、構成を「道中型】「登城型」「下城型」とそれぞれに踊りが異なっているそうです。 曰くがありそうな由来がありそうです。 東照宮は徳川家康公をお祀りして、臣の姿勢を示し、家臣に忠孝をうながしたものです。東照宮からの関係の背景はなにでしょう。 時代背景をみますと、万延前の安政6年久米郡明高村真原に藩士の二・三男を土着開墾に従事させることがなされてるようです。結果はよくなかったようですが、この武士たちの勇気着けか、誇りをもたせることの行事だったかも。湯湯治にきていたのかも。 いずれにしてもここ関金は、藩上層部から信頼をうけた所で、山間ゆえの大事なところだったんでしょう。 明高を視野にいれるところは、里見忠義の好印象があったんではなど記録にないことを想像します。 ちなみにこのころは、由良の六尾で武信佐五右衛門・潤太郎の反射炉ができ大砲作りがはじまり、倉吉では千歯が作られていました。