残念ながら、逝ってしまいました
4/27 この日は予約していた歯医者さんに行く日でした。 歯医者さんでの最後の治療が完了し、フレックスで会社に出勤しました。 ロッカーで着替えをすませ、事務所に入るなり事務の女性に 「お兄さんから電話があり、様態が急変した」とのことでした。 直ぐにロッカーに戻り、着替えをすませ車に乗り込み母が入院する病院へと高速を急ぎました。途中携帯から兄に電話を入れました。留守電・・・ 再び電話を入れてみました。「今 息を引き取ったところだ」11:09**********************************今月の初め頃山に登り、足を取られて左の背中を打撲、数日しても痛みが引かず父に背中をさすって貰いながら痛みをこらえていたらしい、いっこうに痛みは引かず兄らと共に掛かり付けの病院へ行ったのが4/10だったと言うことです。兄から連絡を貰ったのが4/15だったと想います。痛みの正体は「肺せん癌」しかも末期・・・もって1~2ヶ月という事でした。もう頭の中は真っ白、入院前に実家に行ったときは 全く自然に元気でした。しかし、4/15直ぐに病院に様子を見に行ったときは、声が出せない状態でした。そして4/21(土)の休みを利用して、一人でも多く、お袋に合わせておきたいと考えグズグズする長男を連れて、実家に向かいました。実家で親父を乗せ、長男と3人でお袋の病室へ花を持って見舞いに行きました。親父は90歳・・・ぼけぼけです。それでもお袋を見て「この前より元気そうだな」・・・親父は お袋が癌だと言うことは知りません、あまりに不憫でそして4/24(火)またも急変、この時ばかりは”危ないかも”僕の家族全員を招集、夕方だったと思います。病室に着いたとき母は目をつむり静かにしていました。突然だったので、とにかく急いで病院へ行くことばかりでしたのでとりあえず、近くのファミレスで食事をしてから、もう一度病室に行ってみました。すると、眼をあけて、とても元気そうにしていました。子供達一人一人に声をかけさせ、僕も「頑張ってな、また来るからね」と言ってその日は帰りました。その3日後、知らされてから2週間足らず 本人も知らないまま逝ってしまいました。4/28 通夜 4/29 葬儀 何ともあっけなく、未だに信じられない自分がココにいます。末っ子だった僕は、特別 お袋には可愛がられもし、とても優しい母でした。花がとても好きで、今まさに庭中の花が色とりどりの花を咲かせて母を見送ってくれています。母は毎日丹誠込めて沢山の花を見事に咲かせていました。それを写真にとるのが趣味で、入院中にも花瓶の花を写真に納めていたと聞きました。とても残念です。