|
テーマ:夢を叶える人になる(1190)
カテゴリ:カテゴリ未分類
今、カーネギーの『人を動かす』を読んでいます。
まだ、1/5しか読んでいないのですが、心に残った文面を記載しておこうと思います。 =============================================== 若い時は人付き合いが下手で有名だったベンジャミン・フランクリンは、後年、非常に外交的な技術を身に付け、人を扱うのがうまくなり、ついに駐仏米大使に任命された。 彼の成功の秘訣は 「人の悪口は決していわず、長所を褒めること」だと、みずからいっている。 人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんな馬鹿者でもできる。そして、馬鹿者にかぎって、それをしたがるものだ。 理解と寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にして初めて持ちうる徳である。 英国の思想家カーライルによれば、 「偉人は、小人物の扱い方によって、その偉大さを示す」ものだという。
あなたが、子供たちに小言をいいたくなったら、アメリカ・ジャーナリズムの古典の一つといわれている『父は忘れる』という一文を読むようにすすめる。
-『父は忘れる』-リヴィングストン・ラーネッド
坊や、きいておくれ。 お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。 お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。 今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。 罪の意識にさいなまれてお前のそばにやって来たのだ。 お父さんは考えた。 これまで、私はお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。 お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。 靴を磨かないからといって、叱りつけた。 また、持ち物を床の上にほうり投げたといっては、どなりつけた。 今朝も食事中に小言を言った。 食べ物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。 それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは停車場に行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、お前は振り返って手を振りながら、「お父さん、行っていらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて「胸を張りなさい!」といった。 同じようなことがまた夕方に繰り返された。 私は帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。 長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。 お父さんはお前を家に追いかえし、友達の前で恥をかかせた。 「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」 -これがお父さんの口から出たことばだから、われながら情け無い! それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいる時、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋にはいって来たね。 うるさそうに私が目をあげると、お前は、入り口のところで、ためらった。 「何の用だ」と私がどなると、お前は何もいわずに、さっとわたしの傍に駆け寄ってきた。 両の手をわたしの首に巻きつけて、私に接吻した。 お前の小さな両腕には、神さまが植えつけてくださった愛情がこもっていた。 どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。 やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。 ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然何ともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。 何という習慣に、お父さんは取りつかれていたのだろう! 叱ってばかりいる習慣 -まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう! 決してお前を愛していないわけではない。 お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。 お前を大人と同列に考えていたのだ。 お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。 お前のやさしい心根は、ちょうど、山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。 お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をした時、そのことが、おとうさんにははっきりわかった。 ほかのことは問題ではない。 お父さんはお前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。 お父さんとしては、これが、お前に対するせめてものつぐないだ。 昼間こういうことを話しても、お前にはわかるまい。 だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。 お前と仲良しになって、一緒に喜んだり悲しんだりしよう。 小言を言いたくなったら舌をかもう。 そして、お前がまだ子供だということを忘れないようにしよう。 お父さんはお前を一人前の人間として見なしていたようだ。 こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。 昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。 お父さんは注文が多すぎたようだ。
人を非難するかわりに、相手を理解することに勤めようではないか。 どういう訳で、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。 そのほうがよほど得策でもあり、また、面白くもある。 そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出てくる。 すべてを知れば、すべてを許すことになる。
ありがとうございました。 ☆のっこ
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|